背景と事件の動機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 06:16 UTC 版)
「赤色ギャング事件」の記事における「背景と事件の動機」の解説
1932年当時の日本共産党(いわゆる「非常時共産党」)は、プロフィンテルンアジア太平洋支部の太平洋労働組合書記局(在上海)の壊滅と党員・支援者の相次ぐ検挙等により、資金難に陥っていた。 当時の日本共産党は今日“スパイM”として知られる松村昇こと飯塚盈延が組織の中心になっており、戦前期最大の党組織をつくり上げていた。資金もカンパによって月3万円を集めることができた。党の周辺にいた人々を入党させ、『赤旗』も6、7千部発行するにいたった。しかし、1932年3月、党員や支持者の多かった日本プロレタリア文化連盟(コップ)が手入れを受け、400名にのぼる検挙者を出した。 資金網をやられた党財政の困窮を救うための第1の手段は、金持ちの子弟のシンパに家の金を拐帯逃走させるというものであった。さらに、同年7月から「日本共産党技術部」を「家屋資金局」と名称を変え拡充・再編成し、大塚有章を中心に「戦闘的技術団」(レーニンに因む)をつくり、非合法活動のため、強盗、恐喝、詐欺、美人局、エロ写真など考えられる限りの計画を立てた。 これらのなりふり構わぬ資金調達の理由としては、武装蜂起のための武器購入に、多額の資金が早急に必要だったためとされている。
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