背景と事件の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 00:38 UTC 版)
「サブプライム住宅ローン危機」の記事における「背景と事件の経緯」の解説
危機の直接原因もしくは引き金は、おおむね2005年から2006年頃にピークを迎えた米国の住宅バブルが弾けたことだった。以後サブプライムローンと変動金利型住宅ローンの債務不履行が急速に増加した。ローンの初期弁済額を低く抑えるといった借り手刺激策や長期的な住宅価格上昇トレンドから、借り手は多少無理のあるローンでもすぐにより良い条件で借り換えられると信じて手を出した。ところが、2006年から2007年にかけて金利が上昇し、住宅価格が緩やかな下落を始めると、米国の多くの地域ではローンの借り換えが前より難しくなった。月々の返済額が安い初期優遇期間の満了、思うように上昇しない住宅価格、および変動金利型住宅ローンの金利が切り上がったことなどから、債務不履行や抵当物件の差し押さえが劇的に増加した。住宅価格の下落によって、ローン金額よりも住宅価値の方が低いという状況が生まれてしまい、これも借り手側が差し押さえを選ぶ金銭的な動機になった。米国で2006年終盤から顕在化したこの差し押さえの蔓延は、世界的な経済危機の主な原因の一つであり続けている。何故ならこれは消費者の富を吸い上げると共に金融機関の体力を着実に破壊するからである。 危機に至るまでの何年かに渡り、急成長しつつあるアジア諸国や産油国から巨額の外資が米国に流入してきた。この資金流入は2002年から2004年頃の米国の低金利と相まって融資条件を大いに緩和し、住宅バブルと信用バブルの両方に油を注いだ。様々な種類のローン(例えば住宅、クレジットカード、自動車など)が簡単に組めるようになり、消費者は空前の債務を負うこととなった。住宅バブルや信用バブルの一部として、不動産担保証券(MBS)と呼ばれる金融商品の契約高が非常に増えた。これは住宅ローンの弁済金と住宅価格を価値の裏づけとする証券である。こうした金融革新(en)によって、世界中の企業や投資家が米国の住宅市場に投資できるようになった。住宅価格が下落すると、大量の資金を借りてサブプライムMBSに大きく投資していた世界的な大手金融機関が巨額の損失を計上した。住宅市場の危機が他の経済分野に波及するにつれて、他種のローンでも債務不履行や損失が目立って増加した。全世界の損失額は何兆ドルもの規模と推計されている。 住宅バブルと信用バブルが形成されつつあった傍らで、様々な要因から金融システムは脆弱さを増していった。政策立案者は投資銀行やヘッジファンドといった金融機関(いわゆるシャドーバンキングシステム(en))が果たすようになった役割の重要さを認識していなかった。一部の専門家はこれらの機関は米国経済への信用供与という点から見て商業(貯蓄)銀行にも匹敵する重要さを持つに至ったと信じているが、商業銀行のような法規制下にはない。これらの投資銀行やヘッジファンド等、および一部の正規の銀行は、上述したようなローンの原資とするために自らも莫大な資金を借り入れており、発生した大量の債務不履行や不動産担保証券による損失を吸収できるほどの財務的な余力が無かった。これらの損失は金融機関の融資能力を直撃し、経済活動を鈍化させた。中核的な金融機関の安定性が疑われたことから中央銀行も対応を迫られ、融資の促進と企業の重要な資金調達源であるコマーシャルペーパー市場の信頼回復のために資金を供与した。各国政府はまた更なる財政的な介入として中核的な金融機関に公的資金注入をも行った。 住宅市場の落ち込みとそれに続いた金融市場の危機によって経済全般がリスクに晒され、これは世界中の中央銀行による政策金利の引き下げや政府による景気刺激策の発動を呼んだ主たる要因となった。この危機が世界の証券市場に及ぼした影響は劇的である。2008年1月1日から10月11日にかけて、米国企業の株主は8兆ドルの損失を蒙り、時価総額は20兆ドルから12兆ドルに減少した。他国での損失は平均約40%である。証券市場における損失と住宅価格の下落は、経済の牽引役である消費を一層押し下げる圧力となる。先進国と発展途上国の指導者は、この危機への対抗戦略を見出すために2008年11月と2009年3月に会合を持った。2009年4月現在、危機を生んだ根本原因の多くは未だ解決されていない。様々な解決策(en)が政府、中央銀行、経済学者、および実業家から提案されてきた。
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