昭和十九年の戦い
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「五月雨 (駆逐艦)」の記事における「昭和十九年の戦い」の解説
詳細は「松輸送」を参照 1944年(昭和19年)3月から5月まで、五月雨は内地からサイパンやパラオ諸島など、中部太平洋諸島への船団護衛に従事した。4月上旬、五月雨は第二護衛船団司令官清田孝彦少将の旗艦として、東松四号船団を指揮する。護衛艦艇(駆逐艦《五月雨、朝凪》、水雷艇鵯、海防艦《隠岐、天草、御蔵、福江、第2号、第3号》、第50号駆潜艇)は給糧艦間宮など加入船舶26隻と共に、4月1日に東京湾を出撃。東征丸(4月3日)、美作丸(4月10日)沈没の被害はあったが、東松四号船団はおおむね無事にサイパン・グアム・トラック泊地・パラオ・ヤップ島に到着した。続いて五月雨はパラオ諸島ソンソル島への輸送作戦に従事中、4月27日午前10時に同行していた第三水雷戦隊旗艦夕張が米潜水艦ブルーギルの雷撃で航行不能となった。五月雨は駆逐艦夕月(第30駆逐隊)と共に夕張の曳航を試みるが失敗。翌4月28日10時15分、夕張は沈没した。三水戦旗艦は夕月となる。夕月はパラオ(のちサイパン)へ、五月雨はダバオへ向かった。 詳細は「竹一船団」を参照 松輸送に続き、五月雨は豪北方面への緊急輸送作戦竹輸送に従事する。竹船団(船団指揮官梶岡定道第六護衛船団司令官)は4月21日に上海沖合を出撃、4月26日に第一吉田丸が沈没したものの、4月28日マニラに入港していた。マニラまでは海上護衛総司令部部隊の護衛担任だったが、以降は連合艦隊の護衛担任となる。5月1日、梶岡少将(旗艦白鷹)指揮下の竹船団(機雷敷設艦《白鷹、蒼鷹》、駆逐艦《五月雨、白露、藤波》、他護衛艦艇、加入船舶9隻)はマニラを出撃する。5月6日、セレベス海で米潜水艦(ガーナード)の襲撃を受け、3隻(亜丁丸、但馬丸、天津山丸)が沈没した。被害や諸情勢によりニューギニア島西部への輸送は中止。船団はバンカ泊地(セレベス島)に避退したのち、5月9日にハルマヘラ島のワレシに到着して第32師団を揚陸した。竹船団は5月13日にワレシを出発、5月20日にマニラへ戻った。 詳細は「渾作戦」を参照 5月下旬、第27駆逐隊は第十六戦隊司令官左近允尚正少将(巡洋艦《青葉、鬼怒》、第19駆逐隊《敷波、浦波》)の指揮下に入り、ビアク島への輸送作戦(渾作戦)に加わる。戦艦扶桑、第十六戦隊(青葉、鬼怒)、第五戦隊(羽黒、妙高)等が参加した第一次渾作戦はアメリカ軍機動部隊出現の誤報により作戦中止。6月8日、左近允司令官(敷波座乗)指揮下、駆逐艦6隻(輸送隊:浦波、敷波、時雨/警戒隊:春雨、五月雨、白露)で第二次渾作戦を発動する。だが第27駆逐隊司令艦春雨がB-25型爆撃機の空襲で沈没し、駆逐隊司令白濱政七大佐も戦死した。五月雨も魚雷発射管附近に命中弾を受け負傷者2名を出すが、不発弾のため轟沈を免れている。春雨沈没後も輸送任務は継続されたが同日深夜、輸送隊はアメリカ軍巡洋艦部隊に迎撃され、一方的にレーダー射撃を受ける。日本側駆逐艦5隻は、損傷艦はあったが沈没艦はなく、避退に成功した。五月雨は他の艦より先にハルマヘラ諸島パジアンに到着しており、同地で白露から春雨生存者を受け入れる。 その後、第27駆逐隊3隻(時雨、白露、五月雨)は第十六戦隊の指揮下を離れた。6月11日、五月雨は単艦でアンボン(アンボン島)に向かい、同地で春雨生存者を下艦させた。一方、時雨と白露は、駆逐艦複数隻(浜風、響、秋霜)と共に小沢機動部隊・第一補給部隊(日栄丸、国洋丸、清洋丸)の護衛任務についた。6月15日未明、船団内に迷い込んだ白露が清洋丸と衝突し爆沈した。五月雨は別の補給船団を護衛したのち、6月19日-20日のマリアナ沖海戦に参加した。機動部隊乙部隊として、駆逐艦複数隻(第27駆逐隊《時雨、五月雨》、第17駆逐隊《浜風》、第4駆逐隊《満潮、野分、山雲》、夕雲型駆逐艦《秋霜、早霜》)は第二航空戦隊(隼鷹、飛鷹、龍鳳)、戦艦長門、航空巡洋艦最上を護衛した。6月20日の戦闘で、乙部隊からは飛鷹が沈没、隼鷹と龍鳳が損傷した。同海戦敗北後、一旦榛名・時雨と共に内地に戻る。7月8日に呉を出港し、陸軍輸送物資を積載した戦艦4隻(大和、武蔵、長門、金剛)、重巡熊野等を護衛してリンガ泊地へ向かった。14日午前3時頃、武蔵の直衛についていた五月雨は、南西風15mという強風と波濤の中で艦隊から落伍し、行方不明となってしまう。捜索に出た重巡利根に発見されて艦隊に戻り、事なきを得た。第一戦隊司令官宇垣纏中将(大和乗艦)は『五月雨にスコール続く輸送かな』『スコールの後に五月雨忘れけり』と俳句を詠んでいる。16日、第一戦隊(大和、武蔵、長門)、駆逐艦3隻(時雨、島風、五月雨)はリンガ泊地に到着した。
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