第一戦隊司令官とは? わかりやすく解説

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第一戦隊司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:35 UTC 版)

宇垣纏」の記事における「第一戦隊司令官」の解説

1944年昭和19年2月25日第一戦隊(大和、武蔵司令官4月26日 - 27日第一機動艦隊旗艦空母大鳳」で行われた図上演習を、宇垣部外者として見学第一機動部隊対し生死の岐るゝ本圖に於て徒らに青軍有利な経過あるは指導部として注意すべき點なり」と苦言呈している。5月5日の「大鳳」での図上演習では「全體通じ見るにKdF司令部手前味噌の感無き能はず。戦は一人角力非ず。噴戒を要す」と怒っているが、栗田健男中将第二艦隊研究会でも「決戦前にして現實如何なるかを決定し其の訓練を積むべきに兎角研究要する」と云ふ事司令部も各艦も仲々多し此の物と此の人を以て戦ひ而も勝たざるべからざる腹仲々に固め難き通弊にして噴戒すべき處なり」という状態であり、最後には「やつて見れば案外甘く行くものなるべし」「此の實行出来た上出来此の上無し思ふ」と諦めかけている。古村啓蔵少将当時第一機動部隊参謀長によれば5月27日午後11時に空母大鳳」を来艦し第一機動部隊長官小沢治三郎激しく意見する宇垣目撃しており、「今また第一戦隊司令官としてビアク島のことが心配でたまらず、この戦勢を何とかして挽回しようとあせっているように見受けられた」と回想している。 5月第三次渾作戦6月あ号作戦、に従事10月レイテ沖海戦では、元々艦隊による上陸地点突入船団攻撃には反対だったようで、9月20日偶々大和に来艦した小柳冨次参謀長山本祐二参謀談笑した際、自身考えとして「上陸船団攻撃全力入れるよりも、第一遊撃部隊敵機部隊攻撃全力入れるべき」と話したことを日誌戦藻録」に書き残している。作戦中も10月25日サマール沖海戦で、敵空母追撃中止命令出した栗田長官決断を「何を思ったのか」と不満であったかのように書き残してもいる。その後艦隊反転北上の際は、宇垣怒っていたという証言もあり、その内容怒鳴っていたというものから、不機嫌そうであったというものまで多くある。部下第一戦隊の航空参謀(兼大和飛行長)だった伊藤敦少佐は「長官反転時は艦橋におらず、反転後に来られた際に不審思い『どこに向かっているのか』とお尋ねなられた」とも証言している。

※この「第一戦隊司令官」の解説は、「宇垣纏」の解説の一部です。
「第一戦隊司令官」を含む「宇垣纏」の記事については、「宇垣纏」の概要を参照ください。

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