第二戦隊司令官とは? わかりやすく解説

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第二戦隊司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 01:25 UTC 版)

西村祥治」の記事における「第二戦隊司令官」の解説

1944年昭和19年8月下旬有馬馨少将当時南西方面艦隊司令部附)は内地帰投軍令部および人事局より第二戦隊司令官の内示を受ける。第二戦隊は扶桑型戦艦2隻(扶桑山城)により新編され、第五艦隊司令長官志摩清英中将)に編入予定であった。ところが連合艦隊司令長官豊田副武大将参謀長草鹿龍之介中将)は、有馬少将南西方面艦隊参謀長にする意向であったという。軍令部連合艦隊対立した結果有馬少将第三十一根拠地隊司令官補職9月10日開設同日附で発令)。艦隊司令長官級の西村中将9月10日附で第二戦隊司令官となった有馬少将は『同中将西村)は志摩中将同期であり海上経験数等上であり今更第二戦隊司令官でもなかったろうが何も運命である。これで余(有馬)は二度目生命代りとなって頂いたのであるが、この日の西村中将風貌忘れられない。』と回想している。 第二戦隊(山城扶桑)は編成と共に第二艦隊司令長官栗田健男中将)に編入され同時に第一遊撃部隊指揮官第二艦隊司令長官栗田健男中将)に部署変更された。大本営海軍部は第二戦隊に戦艦長門当時第一戦所属)を編入する予定であり、9月4日昭和天皇上奏していた。だが第二艦隊は「長門第二戦編入ハ 次ノ事由ニヨリ当分延期シ今戦局一段落機会実施ノコトニ取計ラハレ度」(9月17日1047発電第二艦隊参謀長 小柳冨次少将)と意見具申し、長門従来どおり第一戦隊(司令官宇垣纏中将戦艦大和武蔵長門)として行動した

※この「第二戦隊司令官」の解説は、「西村祥治」の解説の一部です。
「第二戦隊司令官」を含む「西村祥治」の記事については、「西村祥治」の概要を参照ください。

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