図上演習とは? わかりやすく解説

兵棋演習

(図上演習 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/12 03:38 UTC 版)

兵棋演習(へいぎえんしゅう、: War game, Military Simulation)は、状況を図上において想定した上で作戦行動を再現して行う軍事研究である。

日本において、自衛隊は「指揮所演習Command Post EXercize, CPX[1])」と呼称し、報道される事もあるが、日本軍時代から多用されてきた「兵棋演習」の表現が用いられる場合もある。また「図上演習(War game[2])」、「机上演習Table Top eXercise, TTX)」という言葉も存在し、軍事分野の訳語ではしばしば混同されるが、英語において異なるため、本項では兵棋演習という表現を用いる。

概説

兵棋演習では2個以上の対抗勢力による作戦を研究するために、地形や敵情についての定量的なデータを踏まえながら確率を活用しつつ状況を再現する。参謀本部軍令部(ないし相当の機関)或いは実戦部隊において、作戦計画の立案や分析などの研究のために行われている。また軍学校では学生に対する戦術学の応用教育のために用いられる。1823年にフォン・ライスヴィッツが原型を構築し、日本では明治22年に一学科として位置づけられた。

作戦領域となる地形図、彼我の部隊を示す赤と青の軍隊符号、部隊の運動や方向などを描き込む際に用いる製図用具、偶発的な事柄の勝敗を決めるサイコロ、火力の効力を規定する火効表などが必要な物品であったが、現代ではコンピュータなどの電子機器、ソフトウェアの支援を受けて遂行される。

兵棋演習では演習員だけでなく、統裁官が必要となる。演習は演習員が逐次変化する状況を判断した上で決定を下すという形で進行する。その際に必要な審判は、予め定めた数値的な審判基準と統裁官の判断に基づいて行われる。統裁官は演習の進行状況を踏まえたあらゆる統裁と審判の権限を持っており、演習員がその審判に反することはできない。また戦術教育としての兵棋演習の終了時には統裁官によって各演習員の状況判断と決心が講評される。従って統裁官には実践的かつ客観的な経験と判断が求められるために、通常は古参の高級将校が任せられる。

また兵棋演習は概ね軍事的な状況に着目して行われるが、政略的な状況を組み込んで行われる場合(Politico-military gaming、Political-military Simulation、直訳では政治軍事演習)もある。この場合は軍事の他政治、外交、経済、心理、社会、技術およびその他の要因の相互作用を含んだ情勢の模擬研究として設定され、戦略レベル以上の高度な情勢についての研究が行われる。

チェスター・ニミッツは第二次大戦時の対日戦は海軍大学校で学んだ兵棋演習の再演であり、予期できなかったのは神風攻撃のみだったと語っている[3]。一方で、アーレイ・バークは兵棋演習では実戦における精神的重圧が再現できないことを問題視している[3]

訓練用のシナリオとして様々なパターンが考案されているが、実在の国家を標的にすると外部に流失した際に外交問題に発展することもあるため、あえて敵をゾンビに設定するなどの配慮も行われている[4]

歴史

空母艦上で行われるチェス大会
チェスを指すアメリカ海軍士官(強襲揚陸艦ナッソー艦長のロナルド・レイス)
休憩中にチェスを指すルーマニア陸軍兵士(アフガニスタン、2009年)

兵棋演習の起源は定かではないが、前近代において図上に軍事的状況を再現して研究するものとして古代インドのチャトランガやヨーロッパでのチェスがある。このような盤上遊戯には、任務の達成のために戦力の測定や地形効果の認識、戦術案の検討などを含めた軍事的思考が求められるが、具体的な野戦の研究にとってはあまりに内容が抽象的であった。

17世紀中ごろにチェスの枠組みに軍事に関する詳細な取り決めが導入され、軍事研究の道具として初めて精密化されるようになった。軍事史においてこのように体系化された最初の兵棋演習の記録は1664年のドイツのウルムにおいて実施された『王者の遊戯』(Königspiel)である。これはチェスを基本にしながらより大規模な方眼状の盤上と30個の駒を使用したものであり、それらの駒には国王や諸々の階級を含めた部隊指揮官、兵卒などと命名されていた。このような兵棋演習は「戦争チェス」(War chess)と呼ばれ、活用することで軍事的能力を向上させることが可能であった。

1797年にドイツ・ブラウンシュヴァイク出身の軍事学者ゲオルク・ヴェントゥリーニスペイン語版は現代の兵棋演習につながる新たなシステムを構築した。これは旧来の「戦争チェス」を参考にしながら内容を発展させたものであり、この作品は『応用戦術と戦争科学のための数学的体系』と命名された。これにはまだ四角形の方眼が使用されていたが、その方眼の個数は3600個に拡大されながらマイルで区切られていた。それぞれの升目には地形効果が色で示され、架空の地形ではなく、フランスとベルギーの国境における現実の地形を用いていた。兵士のほか火砲や集積所・橋などをかたどった駒が採用され、その進め方もチェスのルールではなく、実際の諸部隊の動きに則した方式へ改められていた。さらに19世紀にゲオルク・フォン・ライスヴィッツ英語版によって兵棋演習に砂盤を導入し、森林などの地形をより立体的に再現しながら部隊の運用を研究する手法を開発した。部隊は立方体に対応する軍隊符号を与えて識別するようにした。ライスヴィッツの手法は「戦争ゲーム」(Kriegsspiel、War game)として当時のプロイセン軍に認知されるようになり、その後の兵棋演習の基本となった。そしてプロイセンの軍事技術が各国で研究され、あるいは導入されていくにつれて、兵棋演習も各国へ伝播していった。

第二次大戦後のアメリカにおいて、一般向けの娯楽として兵棋演習を簡略化したウォー・シミュレーションゲームが登場し、コンピュータゲーム化もされるなど広く普及している。

現代は軍事研究として行われることはないが戦略的思考のトレーニングになるため、欧米の軍隊では士官学校、駐屯地、艦船内にチェスクラブが存在し趣味としてたしなむ者も多い。特にアメリカ海軍の空母ではチェス大会が定期的に開催されている。日本では防衛大学校に棋道部(囲碁と将棋)が存在する。

脚注

  1. ^ 令和4年版防衛白書(英語版)p.401 2023年6月4日閲覧
  2. ^ 図上演習とは - 海上自衛隊幹部学校
  3. ^ a b 図上演習の意義 - 海上自衛隊幹部学校
  4. ^ “米国防総省、「ゾンビ」襲来の対応策を策定していた”. CNN. (2014年5月17日). https://www.cnn.co.jp/usa/35048042.html 2019年7月12日閲覧。 

参考文献

  • 飯田耕司『改訂 軍事ORの理論』三恵社、2010年
  • 実松譲「第三章 真珠湾作戦と海大」『海軍大学教育』光人社NF文庫 ISBN 4-7698-2014-3 (1993年、初出1975年)
    • 日本海軍で行なわれていた図上演習の概要が説明されている。
  • 猪瀬直樹『昭和16年 夏の敗戦』ISBN 4-16-743101-7 (初出1983年、1986年文庫化)
  • 陸戦研究』陸戦学会
    • 自衛隊関係者向けの研究誌。毎号様々な状況を想定した図上演習を掲載している。
  • Ardant Du Picq, C. Battle Studies: Ancient and Modern Battle. New York: Macmillan. 1921.
  • Bonder, S. Systems Analysis: A Purely Intellectual Activity. in Military Review, February, 1921. pp. 14-23.
  • Brewer, G. D., and M. Shubik. The War Game: A Critique of Military Problem Solving. Cambridge, Massachusetts: Havard University Press. 1979.
  • Dupuy, T. N. Numbers, Prediction and War: Using History to Evaluate Combat Factors and Predict Outcome of Battles. McLean, Va.: Hero Books. 1985.
  • Honig, J., et al. Reveiw of Selected Army Models. Washington, D.C.: U.S. Department of the Army. 1971.
  • Huber, R. K., K. Niemeyer, and H. S. Hofman, eds. Operational Research Games for Defense. Munich: R. Oldenbourg Verlag Gmbh. 1979.
  • Lanchester, F. W. Aircraft in Warfare: The Dawn of the Fourth Arm. London: Constable.
  • Organization of the Joint Chiefs of Staff. Catalog of War Gaming and Military Simulation Models. 12th ed. Force Structure, Resource, and Assessment Directorate. Washington, D.C. 1991.
  • Peter P. Perla. The Art of Wargaming: A Guide for Professionals and Hobbyists. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press.
  • Shubik, M., and G. D. Brewer. Models, Simulations, and Games: A Survey. Report R-1060-ARPA/RC. Santa Monica, Calif.: RAND Corp. 1972.
  • Stockfisch, J. A. 1975. Models, Data and War: A Critique of the Study of Conventional Forces. R-1526-PR. Santa Monica, Calif.: RAND Corp. 1975.
  • U.S. Army War College. McClintic Theater Model, Volume 1: War Game Director's Manual. Pennsylvania: U.S. Army War College, Aug. 1981.
  • Weiss, H. K. Lanchester-Type Models of Warfare. Proceedings of the First International Conference on Operational Research, ed. M. Davies, R. T. Edison, and T. Page. Baltimore, Md.: Operational Research Society of America.

関連項目

外部リンク


図上演習

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)

ミッドウェー海戦」の記事における「図上演習」の解説

4月28日から1週間かけて戦艦大和で「連合艦隊第一段階作戦戦訓研究会」と「第二段作戦図上演習」が行われた。そのうち5月1日から4日間が第二段作戦の図上演習で、ハワイ攻略まで行われた実演5月3日午後に終わり3日夜と4日午前にその研究会行い4日午後からは第二期作戦に関する打ち合わせが行われた。図上演習では、連合艦隊参謀長宇垣纏中将統監審判長青軍日本軍長官務め青軍各部隊該当部隊幕僚務め赤軍アメリカ軍指揮官松田千秋大佐戦艦日向艦長)が務めた。 この図上演習において、ミッドウェー攻略作戦最中米空母部隊出現し艦隊戦が行われ、日本空母大被害出て攻略作戦続行難し状況となったが、審判やり直し被害減らし空母を三隻残した状況続行させた。空母加賀赤城爆弾9発命中判定沈没判定となったものの、宇垣纏連合艦隊参謀長は「9発命中は多すぎる」として爆弾命中3発に修正させ、赤城復活させたなどである。ミッドウェー島攻略成功したが、計画期日より一週間遅れ、艦艇燃料足りなくなり一部駆逐艦座礁した宇垣は「連合艦隊はこうならないように作戦指導する」と明言した。このとき、攻略前に機動部隊ハワイから出撃してくる可能性はあったのだが、図上演習でアメリカ軍担当した松田大佐出撃させることはなかった。 戦訓分科研究会において、連合艦隊司令部宇垣参謀長は一航艦の草鹿参謀長対し、「敵に先制空襲受けた場合或は陸上攻撃の際、敵海上部隊より側面たたかれたる場合如何にする」と尋ねると、草鹿は「かかる事無き処理する」と答えたため、宇垣具体的にどうするのかと追及すると、第一航空艦隊(一航艦)の源田参謀が「艦攻増槽付した偵察機四五〇浬程度まで伸ばし得るもの近く二、三配当せらるるを以て、これと巡洋艦零式水偵使用して側面哨戒に当らしむ。敵に先ぜられたる場合は、現に上空にある戦闘機の外全く策無し」と答えた。そのため宇垣注意喚起続け作戦打ち合わせ前に第一航空艦隊第一波攻撃隊をミッドウェー島攻撃第二波攻撃隊は敵艦隊に備えこととした。米機動部隊現れた際に反撃するために第一航空艦隊艦攻)の半数航空魚雷装備となったが、連合艦隊首席参謀黒島亀人大佐命令として書き込む要はないと航空参謀佐々木彰中佐指示した研究会作戦参加者から最も要望されたのが準備間に合わないことによる作戦延期だった。第二航空戦隊司令官山口多聞少将と一航艦航空参謀源田実中佐作戦反対食いついたが、連合艦隊司令部聞く耳を持たなかった。4日研究会で、第一航空艦隊参謀長草鹿少将第二艦隊参謀長白石萬隆少将作戦反対したが、受け入れられず、5日に再び反対しに行ったが、第二段作戦手交され、反対せずに帰った第二艦隊長官近藤信竹中将は、米空母がほぼ無傷残っており、ミッドウェー基地にも敵戦力があることからミッドウェー作戦中止して米豪遮断集中すべきと反対した。しかし、山本長官は奇襲成功すれば負けない答えたまた、近藤中将は、ミッドウェー島占領して補給続かない指摘したが、宇垣参謀長補給不可能な守備隊施設破壊して撤退する答え攻略後の島確保補給については何ら考えられていなかった。占領後他方面で攻勢行いアメリカ軍ミッドウェー奪回余裕与えなければ10月ハワイ攻略作戦までミッドウェー島確保できる考えていたという意見もある。 図上演習と研究会は、ミッドウェー作戦目的である敵空母捕捉撃滅難しく、高いリスクを伴う作戦であることを示したが、連合艦隊問題点確認することなく作戦発動した。特に山本長官は「本作戦に異議のある艦長は早速退艦せよ」と強く訓示している。第五艦隊参謀長中澤佑によれば中澤作戦会議機動部隊連合艦隊主隊の距離が離れすぎていることを指摘すると、黒島問題ない発言したという。 5月25日MI作戦における艦隊戦闘の図上演習・兵棋演習続いて作戦打ち合わせ行い関係者思想統一図った。しかしそれはミッドウェー攻略次の日から始まっており、アメリカ主力および空母ハワイ諸島オアフ島南東450海里から西方急進中の状態から立ち上がったミッドウェー島攻略奇襲によって成功することが前提で、敵機部隊現れることはもはや考慮されていなかったのである連合艦隊第一航空艦隊対し敵艦隊に作戦中備えるように指導しながら、図上演習では攻略翌日敵艦隊がハワイにいるものとし、研究会では「敵艦隊が出現すれば、もうけものである」との楽観論さえ出る始末で、敵艦出現可能性薄く見ており、この空気各部隊伝わっていたという意見もある。打ち合わせにおいて第一航空艦隊は、部品間に合わないので延期要望し連合艦隊一日だけ一航艦の出撃延期認め6月4日予定空襲5日変更されたが、7日攻略変更されなかったため、空襲前攻略部隊船団敵飛哨戒圏内入り発見されやすくなった。しかしこれも連合艦隊はこれを敵艦誘出に役立つと楽観視した。 出撃前日5月26日赤城において作戦計画説明作戦打ち合わせが行われた。山口少将から索敵計画が不十分という意見があった。索敵計画立案した第一航空艦隊航空参謀吉岡忠一少佐によれば当時敵情判断から索敵計画改めなかったという。吉岡は、攻略作戦中に敵艦隊が現われるとはほとんど考えていなかったのと、索敵厳重にするのが良いのはわかっていたが、索敵艦上攻撃機艦攻)を使うのは攻撃力低下意味するので惜しくてできなかったとして、状況判断甘かった回想している。 この計画での一航艦司令部の心配は、攻撃開始日が決まっているので奇襲について機転働かせる余地がなかったことと、空母アンテナの関係から受信能力が低いため、敵信傍受が不十分で敵情わかりにくくなることであった。そのため、一航艦参謀長草鹿少将は、連合艦隊司令部(主に旗艦戦艦大和)が敵情把握して作戦指示することを連合艦隊参謀長宇垣参謀長取りつけた。土井美二中佐第八戦隊首席参謀によれば草鹿参謀長が「空母マスト低くて敵信傍受期待できない怪し徴候つかんだくれぐれも頼む」と出撃前に何度も確認していたという。

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