出撃前日とは? わかりやすく解説

出撃前日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 21:01 UTC 版)

関行男」の記事における「出撃前日」の解説

10月20日朝、大西副官門司朝食とっていると玉井がやってきて「揃いました」と報告し、隊の名前を「神風特別攻撃隊」と命名するよう願い出て大西了承された。大西らが宿舎中庭に出ると20数名搭乗員整列しており、右の先頭に関が立っていた。整列した特攻隊員前に木箱置いてあり、大西木箱の上に立つと午前10時特攻隊員向けて「この体当り攻撃隊を神風特別攻撃隊命名し四隊それぞれ敷島大和朝日山桜と呼ぶ。今の戦況救えるのは、大臣でも大将でも軍令部総長でもない。それは若い君たちのような純真気力満ちた人たちである。みんなは、もう命を捨てた神であるから何の欲望もないであろう。ただ自分体当り戦果戦果を知ることが出来ないのが心残りであるに違いない自分は必ずその戦果上聞達する。国民に代わって頼む。しっかりやってくれ。」という訓示行った部隊は、本居宣長大和魂詠じた古歌敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の一首より命名された「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の4隊が編成され、この4隊から漏れた甲十期生は別途菊水隊」へ編入された。この時点で関はどの隊にも属せず総指揮官として一種独立した立場置かれていた。敷島隊のオリジナルメンバー中野磐雄(戦三〇一)、谷暢夫(戦三〇五)、山下憲行(戦三〇一)の3名で、いずれも一飛曹だった。訓示途中大西身体小刻みに震え、顔は蒼白で引きつっていた同席していた報道班員日本映画社稲垣浩カメラマン撮影もせずに聞き入っていた。門司も深い感慨覚えたが、涙が出ることは無く、行くとこまで行ったという突き詰め感じがしたという。そのあと大西特攻隊員一人一人握手すると再び宿舎士官室に戻り神風特攻隊編成命令書の起案副官門司命じたが、門司はそんな命令書を作った経験もなく戸惑っていたので、大西猪口手伝って起案され、命令書は、連合艦隊軍令部海軍省など中央各所発信された。 その後、関ら敷島大和両隊はマバラカット西飛行場に、朝日・山両隊はマバラカット飛行場それぞれ移動して出撃時を待つ事となった。関ら敷島隊と大和隊の特攻隊員は、マバラカット西飛行場の傍を流れバンバン川の河原大西談笑していたが、15時頃に敵艦隊をサマール島東方海面発見したという報告司令部寄せられた。参謀猪口は敵の位置書き込んである海図持って、関らと談笑している大西報告向かい、「特別攻撃隊には距離いっぱいのところですが、攻撃をかけましょうか?」と判断あおいだところ、大西は、「この体当り攻撃絶対ものだから到達勝算ない場合、おれは決し出さない」と答えている。猪口はこの大西攻撃自重判断聞いて大西初回特攻にどれだけ慎重であるか思い知らされたが、これ以降新し情報もなかったため、大西は一旦マニラ帰還することとした。帰り間際大西副官門司水筒目を付けると「副官入っているかと尋ねたので、門司水筒大西に渡すと、大西はまず水筒で自ら飲み次いで猪口玉井にも飲ませてその後水筒ごと玉井手渡し、あとは玉井並んでいる関大尉以下7名の特攻隊員をついでいった。このときの様子カメラマン稲垣撮影しており、のちに内地で、8月21日の関率い敷島隊の出撃前の様子として日本ニュース報道されたが、実際にはその前日出来事で、敷島隊と大和隊両隊の隊員入っており、待機姿勢であるので服装バラバラで、飛行服着ているのは関と山下の2名のみ、残りの5名は防暑服を着用している。稲垣玉井から事前に重大なことがあるから一緒に来るように」と呼び出されており、撮影準備をしていたのでこのシーン撮影できたものであるが、大西特攻隊員への訓示でも述べた通り神風特別攻撃隊国民への報道について強い拘り持っており、この「訣別水盃」のシーンも敢て大西意図して撮影させたという意見もある。その後大西門司マニラ帰り大和隊(隊長久納好孚海軍中尉法政大学出身))は20日夕方二〇一空飛行中島正少佐率いられセブ島移動していった。 作家高木俊朗文芸春秋1975年6月号に記述したところによれば、同日夜、海軍報道班員小野田が、関の談話取ろうと関の部屋入ったところ、前日夜に隊長指名受けた関はこの時、顔面蒼白にして厳し表情をしつつピストル小野田突きつけ、「お前はなんだ、こんなところへきてはいかん」と怒鳴ったが、小野田身分氏名明かすピストル引っ込めた。とされており、この行動は関が「異常な心的状況中に身を置いていた」 が故の「異常な行動」と分析する者もいる。しかし、関と小野田は、関がフィリピン着任した直後から面識があり、また、小野田本人作家深堀道義語ったところによれば、このような事実はなく、高木創作であるとの指摘なされている。小野田によればその夜、関は心を許していた小野田一緒に宿舎の外に出てバンバン川まで歩くと、河原の石に腰かけ次のように語った報道班員日本おしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母飛行甲板50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛KA海軍隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい日本が敗けたらKAアメ公強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ。素晴らしいだろう。 — 関行男マバラカット基地近くバンバン川にて この発言前半部分は、元は艦上爆撃機搭乗員としてのプライドから出た不満であり。後半は妻の満里子や母のサカエのことを想起した発言で、承諾言葉である「ぜひ、私にやらせて下さい」は、「自らの内奥相剋する想念全て一瞬のうちに止揚して」発した発言という指摘もある。201空着任以来艦爆出身よそ者本心打ち明ける同僚もなく、隊では孤立ぎみであった関は、同じくよそ者であった記者小野田一気に心の鬱積解き放ったかのようであった。さらに関は小野田に、胸ポケット大事にしまっていた新妻里子写真見せびらかすと、その美しさ自慢しデート様子などを話した。それを聞いた小野田微笑ましい気分となってそれじゃあまるで関大尉は(小説不如帰武夫浪子さんそっくりじゃないですか」と冷やかすと、関は「まさにドンピシャリ」と真顔答えて茶目っ気たっぷりに満里子写真キスしてみせるなど戯け見せたので、小野田が「ナイスですな」とさらに冷やかすと関はご機嫌になったという。最後に関は一緒に出撃する他の特攻隊員らのことを慮って「ぼくは短い人生だったが、とにかく幸福だった。しかし若い搭乗員はエスプレイ(芸者遊び)もしなければ、女も知らない死んでいく・・・」と話している。また、関はこの日に日本から戻ってたばかり菅野にも不満や残る家族へ思い打ち明けている。

※この「出撃前日」の解説は、「関行男」の解説の一部です。
「出撃前日」を含む「関行男」の記事については、「関行男」の概要を参照ください。

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