第二航空戦隊司令官
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1942年(昭和17年)7月、第二航空戦隊司令官着任。1942年10月、南太平洋海戦に参加。第三艦隊司令長官南雲忠一中将の旗艦「翔鶴」が損傷し、航空戦の指揮が角田に一時委譲され、乗艦「隼鷹」を最大戦速で突出させた。その様子を見ていた他艦の乗員によれば「槍を抱え敵陣に突っ込んで行く騎馬武将の様だった」という。米空母「エンタープライズ」を撃退、「ホーネット」を大破させる。総員退鑑したホーネットの鹵獲を命令されるが、曳航不能のため駆逐艦の雷撃で沈めた。この時に角田の意を受けて「隼鷹」飛行長は、飛行隊の行動範囲外である攻撃隊を発進させ、母艦は全速力で飛行隊を迎えに行く命令をした。
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