第二艦隊の再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 20:51 UTC 版)
太平洋戦争末期、連合艦隊はすでに主力艦艇の多くを喪失していた。戦艦大和以下、生き残った主力艦艇や空母を中心とした新造艦艇の多くは燃料不足のため行動することができず、フィリピンの戦い(レイテ沖海戦・北号作戦)後に南西方面から内地へ帰投した後は、呉軍港などに繋がれていた。海龍・震洋といった特攻兵器の生産が優先され、大型軍艦の修理は後回しにされた。この方針に対し伊藤は戦艦の修理を要請して井上と対立した。結果的に伊藤の要望が通り大和と榛名は呉工廠で、長門は横須賀で修理することが決定した。 1945年(昭和20年)1月1日の戦時編制改訂で日本海軍は第二艦隊を再編し、第一戦隊を大和・長門・榛名で編成、第一航空戦隊を第二艦隊に編入した。その後、軍令部は燃料がなくなった戦艦を浮砲台として軍港に繋ぐ予定だったが、連合艦隊は2月初旬に、第二艦隊を特攻に使用したい意向を明らかにした。連合艦隊の意向に対し、第二艦隊参謀長森下信衛少将は「第二艦隊ノ戦艦ニテ牽制出来ルカ」、「第二艦隊ハ出ル前ニ敵機動部隊ニ叩カレヤシナイカ」などと発言した。いずれにせよ作戦方針は大本営海軍部(軍令部)・連合艦隊間で決定し、及川は2月8日に昭和天皇へ作戦方針を奏上、2月10日附で戦時編制を改訂した。第二艦隊(第一航空戦隊〈大和、天城、葛城、隼鷹、龍鳳〉・第二水雷戦隊〈矢矧、第七駆逐隊、第十七駆逐隊、第二十一駆逐隊、第四十一駆逐隊〉)は、水上特攻作戦のために残された。航空母艦は艦上機を搭載せず、囮艦として大和に随伴する予定だった。3月15日、第二艦隊に第三十一戦隊(司令官:鶴岡道太郎少将、旗艦:花月)が編入される。4月1日、第二艦隊に第十一水雷戦隊(司令官:高間完少将、旗艦:酒匂)が編入された。
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