昭和十九年初旬の行動とは? わかりやすく解説

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昭和十九年初旬の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:26 UTC 版)

雪風 (駆逐艦)」の記事における「昭和十九年初旬の行動」の解説

1944年昭和19年1月4日雪風天津風空母千歳と共に第一海上護衛隊司令官指揮下に入った10-11日、第16駆逐隊雪風天津風千歳輸送船4隻を含むヒ三一船団運航指揮官細谷資彦大佐)を護衛して北九州門司出発シンガポール向かった1月16日雪風浮上する潜水艦発見。すると天津風が米潜水艦攻撃向かい雪風船団護衛戻った直後天津風が米潜水艦レッドフィンの雷撃艦橋を含む艦前部切断喪失して漂流古川駆逐隊司令戦死した輸送船団それ以上被害を受けることなく1月20日シンガポール到着天津風行方不明の後、1月23日船体後部漂流しているところを捜索機発見され駆けつけ若竹型駆逐艦朝顔の曳航によりサイゴン回航された。1月25日、ヒ三二船団輸送船6隻(御室山丸、建川丸北陸丸、玄洋丸、黒潮丸鮫島丸)を護衛してシンガポール出撃途中でマニラから来た海防艦三宅天津風の代艦)が船団合流する2月1日船団は米潜水艦ホエール雷撃撃沈された輸送船たるしま丸生存者多数救難ハシケ乗船漂流13日目)を発見三宅54名、雪風57名を救助した2月3日4日とも)千歳分離して佐世保入港、その他は門司到着した雪風三宅からたるしま丸生存者受け入れた2月5日雪風千歳原隊復帰している。 2月13日雪風空母千歳によるサイパン島航空機輸送任務護衛するため横須賀出発鹿児島千歳初霜合流後26日サイパン到着続いて29日1944年閏年だった)、雪風初霜千歳護衛して日本へ向けサイパンを発つが、3月1日安藝丸船団安藝丸崎戸丸東山丸護衛駆逐艦朝霜岸波沖波)が米潜水艦雷撃による被害受けたとの連絡を受け千歳護衛任務中断千歳分離後安藝丸船団救助へ向かう。4日東山丸グアムまで護衛すると、更に陸軍兵団横須賀まで運ぶよう命令追加される初霜東山丸と共にサイパン向かい千歳合流した後、陸軍兵団乗せた雪風千歳東山丸護衛して7日サイパン出発11日横須賀到着した3月18日横須賀から徳山沖へ回航後、19日空母瑞鳳合流3月21日神戸沖で駆逐艦山雲合流し横須賀まで瑞鳳護衛した横須賀到着後に館山移動した後、今度千歳護衛して西日本向かった雪風は既に2隻の空母瑞鳳龍鳳)のサイパン・グアム輸送任務護衛艦指定されており、伊良湖水道龍鳳達と合流した後、軽巡洋艦能代駆逐艦山雲初霜と共に瑞鳳龍鳳護衛任務就いた31日輸送部隊から能代分離してパラオ向かい4月1日には空母龍鳳護衛初霜分離した4月2日サイパンにて物資揚陸を行う。アメリカ軍機の空襲大部接近警報があったものの、各艦とも被害はなく、輸送任務成功した4月7日、呉に到着入渠整備を行うが、新たな護衛任務のため工期短縮して出渠。4月21日雪風島風早霜と共に戦艦大和重巡洋艦摩耶護衛しリンガ泊地向かった5月1日リンガ泊地到着この頃相次ぐ任務重なった雪風行動連合艦隊司令部把握できなくなり新兵送り込めなくなると言う珍事発生している。

※この「昭和十九年初旬の行動」の解説は、「雪風 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「昭和十九年初旬の行動」を含む「雪風 (駆逐艦)」の記事については、「雪風 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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