昭和十八年の戦いとは? わかりやすく解説

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昭和十八年の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 16:24 UTC 版)

浦風 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「昭和十八年の戦い」の解説

ガダルカナル島戦局絶望的になる一方日本軍東部ニューギニア重視方針打ち出した12月24日附で第十八戦隊軽巡龍田)の解隊にともない、同戦隊司令官松山光少将ニューギニア方面護衛隊指揮官の職を解かれる。そこで外南洋部隊駆逐艦浦風谷風浜風磯風舞風をもって東部ニューギニア方面護衛隊編成した。5隻は12月27日1月3日にかけてラバウル集結1943年昭和18年1月4日陽炎型駆逐艦5隻(浦風谷風浜風磯風舞風)は輸送船5隻(ぶらじる丸妙高丸、くらいど丸、日龍丸智福丸)を護衛してラバウル出撃ニューギニア島ラエフォン湾)を目指すアメリカ軍機の波状攻撃により日龍丸沈没揚陸中に妙高丸が擱座したが零戦隊や日本陸軍戦闘機隊の援護受けてラエ輸送成功裡終わった輸送船団ラエに入泊する浦風は日龍丸沈没現場引き返し舞風伊25潜水艦と共に生存者救助している。 第十八号作戦終えた17駆逐隊は再び増援部隊編入されガダルカナル島撤退作戦備えた増援輸送従事したラバウルからショートランド泊地移動後、駆逐艦9隻(警戒隊《秋月黒潮時津風、嵐》、輸送隊谷風浦風浜風磯風舞風》)でガ島輸送実施輸送任務成功した帰路空襲で嵐が航行不能となり、谷風艦長戦死》、浦風小破している。1月下旬ガ島撤退作戦において駆逐艦輸送失敗した場合予備手段として大発動艇用いた撤収作戦立案され、外南洋部隊日本陸軍ラッセル諸島ルッセル諸島)を占領することになった。第16駆逐隊司令司令駆逐艦時津風)の指揮下、駆逐艦6隻(警戒隊《時津風黒潮白雪》、輸送隊浦風浜風江風》)で輸送実施1月28日深夜揚陸終えた。6隻は29日ショートランド戻った詳細は「ケ号作戦」を参照 2月上旬、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風)は三回にわけて実施されガダルカナル島撤退作戦ケ号作戦)に全て参加第一次作戦では第10駆逐隊巻雲沈没第二次作戦では4駆の舞風中破第三次作戦では17駆の磯風大破してそれぞれ戦線離脱余儀なくされた。2月11日、第17駆逐隊谷風浦風)は外南洋部隊支援隊(指揮官西村祥治第七戦隊司令官)の重巡2隻(熊野鳥海)を護衛してニューアイルランド島カビエン出発13日トラック泊地到着トラック泊地重巡鈴谷熊野が揃うと同時に、3隻(鳥海谷風浦風)は西村少将指揮下を離れた2月15日から17日、「浦風」はウェワク進出する空母瑞鳳飛行隊基地員をトラックからウェワク輸送した2月17日、「浦風」と救難艦雄島」は駆逐艦春雨」(1月24日潜水艦雷撃受けて損傷)を曳航する駆逐艦天津風とともにウェワクから出港19日、「天津風」と「春雨」を結ぶ曳航索が切断、「浦風」が「春雨」の曳航引き継いだ21日悪天候によって春雨は艦前部切断余儀なくされ、23日トラック泊地着。天津風浦風雄島工作艦明石春雨引き渡した3月22日重巡熊野機関故障発生した3月24日天津風警戒されつつ3隻(鈴谷熊野浦風)はトラック泊地出発天津風分離後は諸訓練実施しつつ北上し豊後水道駆逐艦萩風合同3月29日呉に到着したその後トラック泊地に戻る。 4月以降浦風」は以下のような輸送船団護衛従事した第三次ウェワク輸送 - 第四十一師団歩兵第二三十連隊などのウェワクへの輸送で、駆逐艦天津風」、「第二十六駆潜艇」、「第三十四駆潜艇とともに輸送船5隻を護衛4月26日パラオから出発し5月1日ウェワク到着同日揚陸完了しパラオ向かった第四次ウェワク輸送 - 野戦高射砲第六十二大隊などのウェワクへの輸送で、「天津風」、「第三十四駆潜艇とともに新玉丸」ほか輸送船4隻を護衛5月8日パラオから出発し5月13日ウェワク到着して揚陸し、5月17日パラオ帰投第五次ウェワク輸送 - 独立照空第七中隊、第四野戦道路隊などのウェワクへの輸送で、「第二十六駆潜艇とともに輸送船護衛6月10日ウェワク到着第三次ハンサ輸送 - 第二十師団歩兵第七十八連隊第一大隊野戦高射砲第六十三大隊などのハンサ湾への輸送で、「天津風とともに輸送船3隻を護衛5月23日パラオから出発し5月28日ハンサ湾に到着翌日揚陸完了し6月3日パラオ帰投第四次ハンサ輸送 - 歩兵第七十八連隊主力などのハンサ湾への輸送で、「天津風とともに輸送船5隻を護衛6月21日パラオから出発し6月27日ハンサ湾に到着同日中に揚陸完了し7月2日パラオ帰投第六ウェワク輸送 - 「浦風」、「白鷹とともに輸送船3隻を護衛して7月6日ウェワク到着7月17日パラオ帰投7月17日附で「天津風」、「浦風」は外南洋部隊から除かれトラック泊地回航された。その後内地帰投8月1日天津風浦風重巡青葉給糧艦伊良湖護衛して呉へ到着した10月30日、第17駆逐隊浦風磯風)はトラックにて第十四戦隊司令官伊藤賢三少将)の指揮下に入り第十四戦隊旗艦/那珂五十鈴)、軽巡2隻(多摩木曾)、第4駆逐隊野分舞風)及び駆逐艦山雲と共にカビエンに向かうT四號輸送部隊陸軍第17師団)の輸送船団護衛するになった第十四戦隊那珂五十鈴)、第17駆逐隊浦風磯風)、輸送船2隻(清澄丸、護国丸)は第二次輸送任務担当した11月3日アメリカ軍機の空襲により那珂損傷を受け、特設巡洋艦清澄丸は被弾浸水して航行不能となる。浦風護国丸先行してラバウル向かい11月4日到着したが、磯風触雷して小破修理のためラバウル進出できなかった。また浦風第十戦隊僚艦阿賀野初風若月参加したブーゲンビル島沖海戦に間に合わなかった。 詳細は「ろ号作戦」を参照 詳細は「ラバウル空襲」を参照 11月5日浦風以下第十戦隊第二水雷戦隊栗田健男中将指揮下の重巡洋艦部隊ラバウルアメリカ軍機動部隊艦載機による大規模空襲遭遇する11月5日第一次ラバウル空襲)。摩耶大破愛宕高雄最上筑摩能代阿賀野藤波若月大小損害受けた11月6日ラバウル到着していた第十四戦隊軽巡2隻、護国丸トラック向けて出発一方17駆(磯風浦風)は南東方面部隊編入されており、浦風ラバウルに留まった。同日午前第十戦隊司令官大杉守一少将ブーゲンビル島タロキナ岬連合国軍拠点)への逆上作戦下令浦風第一支援隊として参加した昼過ぎ第一支援隊(阿賀野若月風雲浦風)・第二支援隊(能代大波長波)・挺身輸送隊大波巻波天霧文月卯月夕凪)はラバウル出撃、米艦隊遭遇することなく揚陸作戦は一応成功した。だが平行して実施されろ号作戦第一航空戦隊基地派遣隊ラバウル方面基地航空隊によるアメリカ軍機動部隊攻撃)は失敗しつつあった。 11月11日アメリカ軍機動部隊艦載機はふたたびラバウル空襲駆逐艦涼波は沈没長波航行不能浦風若月若干損傷受けた吉田艦長によれば魚雷投下時機逸した雷撃機TBFアベンジャー浦風直接魚雷投下魚雷煙突の上飛び越えていく一幕もあったという。この時、第十戦隊旗艦阿賀野後部魚雷1本が命中して舵が故障艦尾喪失)、大杉司令官貫通銃創負った浦風阿賀野護衛してトラック泊地撤退するになった12日、米潜水艦スキャンプ雷撃阿賀野航行不能となり、大杉司令官浦風移乗した。附近航海中の第二水雷戦隊各艦(能代藤波早波)や軽巡洋艦長良、第61駆逐隊初月涼月)が阿賀野救援のために集結した当初阿賀野能代曳航されていたが、曳航索が切断その後軽巡長良阿賀野の前を、浦風が後曳を担当し速力6ノットトラック向かった阿賀野15日午後8時30分トラック泊地到着第十戦隊旗艦阿賀野から秋月型駆逐艦秋月変更された。

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昭和十八年の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 14:50 UTC 版)

初雪 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「昭和十八年の戦い」の解説

1943年昭和18年1月駆逐艦「初雪」輸送船団護衛して再びソロモン海進出する「初雪」護衛する一号第二輸送隊清澄丸、靖国丸、筥崎丸)には、増援として「朝雲五月雨」が加わった2月上旬ガダルカナル島撤退作戦ケ号作戦)における「初雪」は、前進部隊警戒隊(軽巡神通阿賀野長良》、駆逐艦陽炎朝雲時雨涼風大波初雪敷波、嵐、五月雨》)に編入されている。「初雪、嵐」は航空部隊空母2隻(隼鷹瑞鳳)を直衛し、1月31日トラック泊地出撃陽動部隊として行動した2月25日駆逐艦天霧夕霧」が第11駆逐隊編入され、同隊は白雪型4隻(初雪白雪天霧夕霧)となる。だが3月3日ビスマルク海海戦で「白雪朝潮荒潮時津風輸送船8隻」がダンピール海峡沈没すると、4月1日をもって白雪駆逐艦』は初雪型駆逐艦改定された。本海戦「初雪」輸送船団救援おもむき、「敷波浦波雪風朝雲」と合流すると各艦に燃料補給生存者2700名を「初雪浦波」に移乗させラバウル送り届けた(3日1650現場発、4日1015着)。「敷波雪風朝雲」は再び戦闘海域に戻ると遭難者救助したのち、3月5日朝にラバウル戻った詳細は「クラ湾夜戦」を参照 6月30日アメリカ軍ニュージョージア島ムンダ飛行場対岸レンドバ島上陸しニュージョージア島の戦いがはじまる。これに対し第八艦隊司令長官鮫島具重中将)は第三水雷戦隊秋山輝男少将に対してレンドバ島突入米軍輸送船団撃退下令秋山少将直率部隊秋月型駆逐艦新月》、卯月型《望月皐月》、神風型《夕凪》)、先行隊(指揮官11駆逐隊司令天霧初雪長月三日月水無月)はレンドバ島西方進出したが、会敵しなかった。7月2日秋山少将突撃隊旗艦新月」、第11駆逐隊天霧初雪》、第22駆逐隊長月皐月》、第31駆逐隊望月》)と陽動隊(軽巡夕張》、駆逐艦夕凪三日月》)を率いて米軍上陸部隊砲撃に向かうが、米軍魚雷艇交戦して2隻を撃沈ブーゲンビル島ブイン引き揚げた。7月4日-5日コロンバンガラ島への輸送作戦計画されるが、第一回輸送部隊長月皐月新月夕凪)は米軍機及び米艦隊交戦駆逐艦1隻を撃沈したものの輸送作戦失敗した。そこで南東方面部隊指揮官第三水雷戦隊増援駆逐艦手配し全力での輸送作戦命じた7月5日夕刻秋山少将支援隊(新月第三水雷戦隊旗艦》、第24駆逐隊涼風》、第17駆逐隊谷風》)、第一次輸送隊(第30駆逐隊望月三日月》、第17駆逐隊浜風》)、第二次輸送隊(第11駆逐隊天霧初雪》、第22駆逐隊長月皐月》)を率いそれぞれショートランド泊地出撃した。日本艦隊電波探知機で米艦隊存在察知レーダー日本艦隊とらえた艦隊指揮官ウォルデン・L・エインズワース少将軽巡3、駆逐艦4)も発砲し交戦状態に入る(クラ湾夜戦)。「初雪」砲撃戦行い不発弾2発を受けた。本海戦で「新月長月」が沈没(米艦隊軽巡ヘレナ沈没)、「新月と共に秋山少将以下第三水雷戦隊司令部全滅輸送物件約半分陸兵1,600名と物資90トン)を揚陸した。損傷した初雪望月」はラバウル後退し応急修理実施する新司令官着任までの間、重巡鳥海艦長有賀幸作大佐(かつての第11駆逐隊司令)が数日間だけ増援部隊指揮官となった日本海軍戦死した秋山少将後任として伊集院松治大佐第三水雷戦隊司令官任命する人事7月7日発令伊集院大佐7月10日ラバウル到着する軽巡川内」に将旗掲げた。しかし新司令部をいきなり実戦投入するわけにはいかず、第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将旗艦神通」)が当面指揮執る第二水雷戦隊第七戦隊司令官西村祥治少将)は、7月7日附で南東方面部隊編入されていた。7月12日コロンバンガラ島輸送作戦中の第二水雷戦隊は米艦隊交戦軽巡神通」が沈没し伊崎少将二水司令部全滅したコロンバンガラ島沖海戦)。それでも日本海軍クラ湾夜戦コロンバンガラ島沖海戦米軍水上部隊大打撃与えた判断しクラ湾方面での敵艦撃滅輸送作戦を行う計画をたてる。第七戦隊司令官西村少将指揮官とし、主隊(熊野鈴谷)、水雷戦隊川内皐月水無月雪風浜風、清波、夕暮)、輸送隊三日月夕凪松風)という戦力集結16日2200ラバウル進出してブインむかった。「初雪《第11駆逐隊司令山代大佐座乗》、望月」は西村艦隊先行して16日夕刻ラバウル出撃17日午前5時にブイン入港「初雪」は「水無月」に、「望月」は「皐月」に横付けして物件重油の移載をおこなっていた。 7月17日朝、ブイン大型爆撃機19戦爆150機の大空襲を受ける。至近多数艦橋後部附近被弾し「初雪」は、浸水により平状態で沈没山代司令によれば、浅い水深のためマスト海面上に出ていたという)。他に「皐月水無月」が小破翌日にも空襲を受け「望月」が小破した。これを受けて西村艦隊は一旦ラバウル帰投重巡鳥海」を加えるなど戦力再編したのち18日再出撃した。19日-20日輸送作戦には成功したものの、夜間空襲により重巡熊野小破駆逐艦「清波、夕暮沈没という損害受けて戦果はなかった。 10月15日「初雪」初雪型駆逐艦11駆逐隊帝国駆逐艦籍のそれぞれから除籍された。なおネームシップ本艦沈没後も『初雪型駆逐艦』の名称は改定されずに用いられている。

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昭和十八年の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 08:47 UTC 版)

五月雨 (駆逐艦)」の記事における「昭和十八年の戦い」の解説

1943年1月陸軍部隊ウェワクへの輸送(丙一号輸送が行なわれ、その際飛行機隊をウェワク進出させる空母隼鷹」を「朝雲とともにトラックからウェワクまで護衛したトラックからは1月15日出発し1月17日ウェワク沖に着いた続いてガダルカナル島撤収作戦ケ号作戦)に従事する第一次撤収作戦時で駆逐艦巻雲第10駆逐隊)が沈没駆逐艦巻波第31駆逐隊)が損傷すると、東方牽制隊(愛宕旗艦》、高雄妙高羽黒金剛榛名神通阿賀野長良陽炎朝雲時雨涼風大波初雪敷波、嵐、五月雨隼鷹瑞鳳)として外洋行動中の四水戦2隻(朝雲五月雨)は撤収部隊編入された。2月4日朝、駆逐艦2隻(朝雲五月雨)はショートランド泊地到着第二次撤収作戦第三次撤収作戦従事する第二次作戦駆逐艦舞風(第4駆逐隊)、第三次作戦駆逐艦磯風(第17駆逐隊)が大破中破する中、2隻(朝雲五月雨)は損傷なく作戦終えた2月中旬から再びウェワクへの陸軍部隊輸送(第41師団主力輸送、丙三号輸送)が実施され、「五月雨」も参加。「五月雨」の編入され第二輸送隊2月19日パラオから出発し2月22日ウェワク着いた3月ニューギニアハンサ湾への第二十師団一部などの輸送第一次ハンサ輸送)に参加。「五月雨」と「秋雲」、「風雲」、「夕雲」、「皐月」が輸送船6隻を護衛して3月6日パラオから出発し3月12日ハンサ湾に到着した帰路は「五月雨」と「秋雲」が船団護衛してパラオ向かったが、途中でB-17爆撃により輸送船桃山丸」が沈んだ1月24日ウエワク輸送作戦中の姉妹艦春雨アメリカ潜水艦ワフー雷撃大破1年近い修理余儀なくされた。3月5日コロンバンガラ島輸送作戦従事中の姉妹艦村雨と第9駆逐隊峯雲撃沈された(ビラ・スタンモーア夜戦)。コロンバンガラ島上陸していた2駆司令大佐種子島洋二村雨艦長下生存者達は、駆逐艦雪風初雪等に便乗してラバウル戻った3月25日橘司令は五月雨将旗掲げたが、春雨大破長期修理のため、健在艦は五月雨のみとなっていた。 4月1日、「五月雨」、「朝雲」、「夕雲」、「風雲」、「秋雲」はショートランド人員弾薬などを揚陸コロンバンガラへの輸送予定であった敵機妨害のため引き返した)。4月5日、「五月雨」、「朝雲」、「夕雲」、「秋雲」はコロンバンガラへの輸送任務従事4月6日ブイン帰投輸送内容不詳4月10日、「五月雨」と「雪風」は輸送任務ニューブリテン島南側通ってフィンシュハーフェン向かったが、敵機攻撃受けたため輸送断念してラバウル引き返した4月12日、「五月雨」と「雪風」はニューブリテン島北側通って再びフィンシュハーフェン向かったツルブ目的地変更し13日兵員物資揚陸した。 一連の輸送作戦後、「五月雨」、「雪風」と第10駆逐隊外南洋部隊から除かれかわって第十五駆逐隊親潮黒潮陽炎)等がソロモン方面輸送任務従事することになった詳細は「キスカ島撤退作戦」を参照 5月8日戦艦2隻(大和榛名)、空母2隻(冲鷹雲鷹)、重巡妙高駆逐艦4隻(夕暮、潮、長波五月雨)は日本本土へ向かう。5月13日横須賀帰港、ただちに北方部隊編入され5月15日以降千島方面対潜哨戒従事第一水雷戦隊司令官木村昌福少将旗艦阿武隈指揮下のもと、第五艦隊旗艦多摩軽巡2隻(阿武隈木曾)、第一警戒隊(若葉初霜長波)、第二警戒隊(島風型《島風》、白露型《五月雨》)、収容隊(第9駆逐隊朝雲薄雲》、第10駆逐隊夕雲秋雲風雲》、第6駆逐隊《響》)、補給部隊海防艦国後タンカー日本丸)という戦力キスカ島撤退作戦ケ号作戦)を遂行した阿武隈国後衝突による混乱があったが(損傷した若葉幌筵島避退)、撤退作戦成功した本艦北方海域行動中の7月1日附で、第2駆逐隊解隊五月雨第四水雷戦隊司令部附属になる。7月12日コロンバンガラ島沖海戦第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将および第二水雷戦隊司令部は、旗艦神通と共に沈没した。そこで第四水雷戦隊解隊され、高間司令官司令部戦力そのまま第二水雷戦隊転用された。これにより二水戦旗艦は軽巡長良変更時雨五月雨等も第二水雷戦隊所属となった8月6日五月雨横須賀帰還し9月5日まで同地修理整備行った修理完了後、中部北部ソロモン諸島の戦い参加すべく最前線進出第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将旗艦川内)の指揮下に入る。同地で既に活動していた時雨第27駆逐隊)や磯風(第17駆逐隊)等と共に9月下旬コロンバンガラ転進作戦セ号作戦)に参加10月1日五月雨白露型2隻(時雨白露になっていた第27駆逐隊編入されるその後三水司令官指揮下の駆逐隊秋雲風雲夕雲磯風時雨五月雨)として、10月6日第二次ベララベラ海戦参加した。さらにツルブ時雨五月雨)、フロリダ諸島ガブツ(時雨白露五月雨輸送作戦従事した10月21日トラックからラバウル陸軍兵・軍需物資輸送任務に就いていた軽巡2隻(多摩木曾)は空襲を受け、木曾一時航行不能となった五月雨駆逐艦卯月と共に木曾ラバウルまで護衛した詳細は「ブーゲンビル島沖海戦」を参照 11月1-2日第27駆逐隊連合襲撃隊に編入されブーゲンビル島沖海戦参加した第五戦隊司令官大森仙太郎少将指揮官とする連合襲撃隊の戦力は、本隊大森少将直率:第五戦隊妙高羽黒》)、第一警戒隊(第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将川内第27駆逐隊時雨五月雨白露》)、第二警戒隊(十戦隊司令官大杉守一少将阿賀野駆逐艦長波初風若月》)、輸送隊山代勝守大佐駆逐艦天霧文月卯月夕凪水無月》)から成る巡洋艦4隻・駆逐艦8隻の米艦隊は、まず連合襲撃左翼第一警戒隊(川内時雨五月雨白露の単縦陣)と交戦した川内三水戦旗艦)は戦闘開始からまもなく炎上して航行不能となり、白露同時刻に至近弾で舵故障となった川内続行していた時雨五月雨白露互いに衝突しかけ、五月雨白露衝突。さらに米軍駆逐隊追撃され被弾したが(五月雨戦死5、負傷5)、人力操舵離脱成功した。他に妙高初風衝突海戦結果日本側は川内初風喪失し妙高羽黒五月雨白露損傷した白露2日1100ラバウル着、五月雨14時10分の帰着であった第27駆逐隊発射した魚雷は(五月雨発射魚雷推定)、駆逐艦フート大破させたという。 11月5日ラバウル待機中にアメリカ軍機動部隊艦載機空襲を受け、第二艦隊司令長官栗田健男中将率い重巡洋艦部隊愛宕高雄摩耶最上筑摩)等が大損害を受ける一方五月雨時雨天霧等に被害無かったラバウル空襲)。沈没する川内から脱出した伊集院司令官は呂号潜水艦救助されており、8日ラバウル到着一時五月雨将旗掲げたのち、天霧経て軽巡夕張旗艦定めた11日潜水母艦長鯨重巡摩耶ラバウル空襲大破)、第二水雷戦隊能代早波藤波五月雨)、第十戦隊風雲若月)はラバウル出発トラック向かった12日軽巡阿賀野第十戦隊旗艦艦尾切断状態)が駆逐艦浦風(第17駆逐隊と共にトラック帰投中、アメリカ潜水艦スキャンプから雷撃され航行不能となった二水戦旗能代第32駆逐隊藤波早波)は摩耶護衛中断し阿賀野浦風救援向かった11月14日、5隻(摩耶長鯨五月雨風雲若月)はトラック帰港する12月14日五月雨軽巡夕張と共にトラック出港19日横須賀到着した以後横須賀海軍工廠で、夕張五月雨修理行った。また11月31日附で、修理終えた姉妹艦春雨第27駆逐隊編入される。これにより第27駆逐隊白露型4隻(白露時雨五月雨春雨編制となった

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