昭和十八年後半の戦いとは? わかりやすく解説

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昭和十八年後半の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 10:02 UTC 版)

文月 (睦月型駆逐艦)」の記事における「昭和十八年後半の戦い」の解説

修理終えた文月」は8月21日佐世保出発サイパントラック泊地短期間滞在したのち、9月上旬以降ラバウル進出して第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐)と合流する。「文月修理中に駆逐艦初雪三日月長月」が沈没し第三水雷戦隊軽巡川内」以下第11駆逐隊天霧夕霧)、第30駆逐隊卯月望月)、第22駆逐隊文月皐月水無月となっていた。この頃ニュージョージア島の戦いにおける日本軍敗北決定的となり、コロンバンガラ島からブーゲンビル島への撤退作戦セ号作戦)が発動される。それに向けて従来襲撃部隊磯風時雨)等に加え駆逐艦夕雲風雲秋雲皐月(修理完了9月16日進出)、水無月(修理完了9月17日進出)、五月雨」が逐次増援部隊加わった9月20-22日、ブカ島第一次輸送隊時雨松風)・ブイン輸送隊皐月文月)・ブカ島第二次輸送隊天霧松風)はラバウルからブカ島もしくはブインへの輸送作戦実施した9月28日-30日襲撃部隊夜襲部隊旗艦秋雲」、磯風風雲夕雲時雨五月雨》、輸送隊皐月水無月文月》、警戒隊《天霧》、陽動隊《松風》)と舟艇機動部隊指揮官種子島洋二少佐水雷艇大発動艇部隊)はセ号作戦第一次撤収作戦実施した10月1日襲撃部隊駆逐艦夕凪」を加えて第二次撤収実施された。米艦隊魚雷艇攻撃により大発動艇部隊被害出したが、『セ号作戦』は概ね成功したコロンバンガラ島からの撤退に伴いベララベラ島維持する必要がなくなったため、第八艦隊南東方面艦隊反対押し切る形で同島守備隊(鶴屋部隊)の撤退作戦発動した。参加兵力は、夜襲部隊三水司令官伊集院大佐直率、秋雲旗艦》、風雲夕雲磯風時雨五月雨)、輸送部隊文月夕凪松風)、収容部隊(第31駆潜隊艦載水雷艇大発動艇)及び護衛戦闘機である。これを迎撃するため米軍駆逐艦6隻が出動しこのうち3隻が第三水雷戦隊交戦した10月6日-7日第二次ベララベラ海戦)。日本側は「夕雲」が沈没米軍は「シュバリエ」が沈没し他2隻が大破ベララベラ島からの鶴屋部隊撤収成功した第三水雷戦隊は休む間もなくラバウル周辺ニューブリテン島ブーゲンビル島)への輸送作戦従事した10月8-9日、「文月」はブカ島輸送作戦実施するが、爆撃を受け至近弾により小破した。10月21-22日、「皐月文月夕凪」はダンピール輸送実施した10月24日には「望月卯月」が輸送作戦中に空襲を受け、「望月」が沈没。また「時雨白露五月雨」によるイボキ輸送作戦中に時雨」が至近弾により小破輸送作戦中止)のため、10月24-25日に「皐月文月」、10月29-30日に「卯月文月」によるイボキ輸送実施した一連の輸送作戦中に皐月」は座礁して最大発揮速力16ノットとなり、入渠修理が必要となった10月下旬連合軍ブーゲンビル島周辺諸島上陸開始ブーゲンビル島の戦い)、それに伴う『ろ号作戦』およびブーゲンビル島沖航空戦が始まる。 詳細は「ブーゲンビル島沖海戦」を参照 10月31日14時30分、第五戦隊司令官大森仙太郎少将は、重巡洋艦2隻(妙高羽黒)、軽巡川内」、駆逐艦文月水無月時雨五月雨」を率いてラバウル出撃モノ島方面進出するが米艦隊発見できず、ラバウル引き返した11月1日米軍ブーゲンビル島タロキナ上陸したことが判明し第八方面軍南東方面艦隊タロキナへの逆上陸輸作戦を緊急立案する連合襲撃部隊本隊総指揮官兼五戦隊司令官大森少将妙高羽黒)、第一警戒隊(三水司令官伊集院少将川内時雨五月雨白露)、第二警戒隊(第十戦隊司令官大杉守一少将阿賀野長波初風若月)、輸送隊(第11駆逐隊司令山代勝守大佐天霧夕凪文月卯月水無月《単艦ブカ島輸送》)という戦力が揃う。輸送隊15時30分にラバウル出撃したが、上陸使用する小発動艇搭載手取り連合襲撃部隊本隊との合流予定より遅れたこのため逆上成功見込みなくなったため、大森司令官輸送隊水無月を除く)のラバウル帰投命じた2日0440ラバウル着)。11月1日深夜-2日日付変更後日本軍連合襲撃部隊アーロン・S・メリル少将率い巡洋艦4隻・駆逐艦8隻と交戦第三水雷戦隊旗艦川内」と駆逐艦初風」を喪失し米軍輸送船団撃破にも失敗して敗北した日本軍はなおもタロキナへの逆上陸を諦めておらず、第十一航空艦隊挺身輸送隊第十戦隊司令官若月旗艦》、風雲天霧文月卯月夕凪)、護衛艦隊第二艦隊司令長官栗田健男中将愛宕高雄摩耶鳥海能代等)による挺身上陸作戦立案した11月5日米軍機部隊ラバウル到着したばかりの栗田艦隊全力攻撃戦闘機52艦爆22艦攻23)を実施、「愛宕高雄摩耶最上筑摩能代阿賀野藤波若月」に大小損害与えて作戦続行不能とした(ラバウル空襲)。輸送隊空襲警報発令と共に湾外に脱出して被害受けず、「風雲文月」のみ一旦出撃したが作戦中止下令があってラバウル戻った栗田中将重巡洋艦部隊トラック泊地送り返したのち、南東方面艦隊第二水雷戦隊第三水雷戦隊第十戦隊による挺身輸送部隊編制した第一支援隊(阿賀野若月風雲浦風)、第二支援隊(能代早波藤波時雨)、挺身輸送隊警戒隊《大波巻波長波》、挺身輸送隊天霧文月卯月夕凪》)、ブカ島輸送隊夕張11月3日ラバウル着》、水無月)という配置が決まる。11月6日出撃時、「藤波」は応急修理が間に合わず出撃不能、「時雨」は舵故障修理のためブカ島輸送隊夕張水無月時雨)にまわされ警戒隊「長波」は第二支援隊として出撃した。7日0000以降輸送隊タロキナ到着して兵員揚陸したが、米艦隊との戦闘起きず、また揚陸した部隊も特に戦果はなかった。11月8日第三水雷戦隊旗艦は「五月雨」から「天霧」を経て軽巡夕張」に変更された。 11月11日ラバウルは再び米軍機部隊艦載機空襲を受ける。「涼波」が沈没、「長波」が大破航行不能、「阿賀野」が被雷により舵故障、「浦月、若月」が若干損傷受けた。これにより「阿賀野能代浦風若月」等の第十戦隊第二水雷戦隊各艦がトラック泊地後退南東方面艦隊襲撃部隊は「夕張天霧文月水無月卯月夕凪大波長波航行不能》、巻波秋風夕霧となった11月24日ブカ島輸送向かった大波巻波天霧夕霧卯月」はアーレイ・バーク大佐米軍駆逐艦5隻に襲撃されて「大波巻波夕霧」が沈没し第31駆逐隊司令香川清登大佐吉川潔大波艦長戦死したセント・ジョージ岬沖海戦)。「天霧卯月」のみラバウル生還第三水雷戦隊貴重な駆逐艦3隻を喪失した連合軍タロキナ新たな飛行場整備日本軍航空隊圧倒した制海権制空権ともに米軍掌握して日本軍ラバウル方面防衛線は完全に崩壊したが、それでも第三水雷戦隊潜水艦による輸送作戦続けられた。

※この「昭和十八年後半の戦い」の解説は、「文月 (睦月型駆逐艦)」の解説の一部です。
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