艦載水雷艇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 03:34 UTC 版)
明治から第一次世界大戦ころまで、日本海軍の戦艦は戦闘時の使用を想定し、五十六呎艦載水雷艇を搭載していた。当初は機関としてレシプロ機関を使用しており、汽艇と呼称されることもあった。同時代において戦艦が搭載する動力つき装載艇は本形式のみであった。 1924年(大正13年)に日本海軍はメートル(米)法を採用し十七米艦載水雷艇と改称した。この頃より機関にディーゼル機関を使用した。それに伴いエンジンルームが短くなり船室が長くなるなど外見にも変化が生じた。昭和期に入ると魚雷搭載は無くなり内火艇と任務はほぼ同一となったが、第二次世界大戦にもそのまま搭載されていた。 また、同艇や後述の十七米内火艇とほぼ同一設計の艇が、廃艦となった旧式艦の艇が流用されたり新たに新造されたりする形で、二十屯交通船兼曳船などの雑役船に分類され、港湾などで多数が使用されていた。これらの艇の機関はレシプロのままであり、前部甲板上に操舵室を設けている事が多かった。また、装載艇のものよりも規格はまちまちで、実験的に試作機関を搭載した艇などもあった。 種類全長(m)全幅(m)深さ(m)排水量(トン)出力(馬力)速力(ノット)搭載人員(名)備考十七米艦載水雷艇 17.00 3.30 1.70 23.40 ※ ※ 100 = 五十六呎艦載水雷艇12.7mm機銃1挺、爆雷4個搭載可 ※当初はレシプロ機関で速力14ノット以上。その後150馬力ディーゼル機関となり速力10ノットとなった。
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