進化と駆逐艦の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 03:03 UTC 版)
当時、重砲でも大型の装甲艦を撃破することは難しかったのに対し、魚雷を用いれば、安価な小型艇であってもこれを撃破しうることから、1880年代には各国海軍は競って水雷艇を建造した。航洋性、航続距離の向上や兵装の拡充のために水雷艇は大型化の道をたどっていき、上記の「ライトニング」は排水量27トンであったのに対し、100トン級の大型艇も出現した。また同時に、船体と機関の軽量化、特にコンパクトなボイラーと主機の開発によって速力の向上も図られていった。強制通風装置付きの機関車型ボイラーや水管ボイラーの採用によって蒸気発生量が増大し、1890年代には20ノット以上の水雷艇が多く登場していた。例えばイギリス海軍の1892-93年度計画でヤーロウ社が建造した140フィート型水雷艇は、排水量105トンで23.5ノットの速力を発揮する事ができた。 このような水雷艇の進化を背景として、1880年代のフランス海軍では、魚雷の攻撃力を重視した青年学派と呼ばれる海軍戦術の研究グループが台頭していた。これを受けて、1881年、フランス共和国議会下院は装甲戦艦の建造を中断するかわりに70隻の水雷艇の建造予算を認可し、1886年にはさらに100隻の水雷艇と14隻の高速巡洋艦が加わった。イギリス海軍にとって、これは、フランス海軍が、外洋での作戦は高速巡洋艦による通商破壊戦に、そして近海での作戦は敏捷な水雷艇を重視するように切り替えたことを意味するように思われた。また世界的にみても、1890年末の時点で、7つの大海軍国の合計800隻以上の水雷艇があったが、1896年末の時点では、同じ7ヶ国だけでも1,200隻以上に増加していた。日清戦争中の1895年には、威海衛の戦いにおいて初の大規模な魚雷攻撃が実施され、2晩にわたって延べ15隻の水雷艇が投入された攻撃作戦によって4隻の艦船が撃沈されて、北洋艦隊は実質的に止めを刺された。 このように水雷艇が普及・台頭するのに伴って、それらの襲撃から主力艦を防護する必要が生じた。その任に充てるため、まず1880年代後半より、水雷巡洋艦を元に小型・高速化を図った水雷砲艦が登場した。しかしこれは外洋での航洋性が十分でなく、また小型の艦に大出力の機関を搭載するため、振動などのトラブルが耐えなかった。一方、敵の水雷艇の攻撃を防ぐには、より大型・強力な水雷艇をもってするのが効果的であるという考え方で登場したのが水雷艇駆逐艦であり、イギリス海軍の1892年度計画で建造された「ハヴォック」と「デアリング」が端緒となった。これらは当時のいかなる水雷艇よりも大型・強力であり、かつ高速であった。 水雷艇駆逐艦は後には単に駆逐艦と呼ばれるようになり、たちまち世界各国に普及していった。上記のように水雷艇自体が大型化・兵装強化を志向していたこともあって、駆逐艦はその上位互換として、1900年代には、単に水雷艇を駆逐するだけでなくそれ自体が敵艦隊への水雷襲撃を行うほか、潜水艦に対する攻撃や偵察・哨戒、機雷掃海など、多岐にわたる任務に酷使される便利な艦種に成長しており、これに伴って、従来の水雷艇は次第に建造されなくなっていった。例えば大日本帝国海軍では、1898年制定の類別等級では駆逐艦を「駆逐艇」として水雷艇の一部に分類していたが、1900年には水雷艇から分離して「駆逐艦」と改称し、水雷艇の建造は1904年竣工の9隻が掉尾となり、またこれらも1923年末で全て除籍されて、種別そのものも廃止された。 ただし独航を前提とした水雷艇が建造されなくなった後でも、戦艦や装甲巡洋艦などに搭載される艦載水雷艇(vedette boat)には小型魚雷発射管を装備したものもあり、小艇のもつ戦術的価値についての認識は残っていた。日本海軍でも、昭和期に入ってからも艦載水雷艇の搭載・運用は継続されていたが、形態としては艦載水雷艇のものを踏襲していたとはいえ、実質的にはピケット・ボートや交通艇としての役割を担っており、水雷艇としての機能はなかった。一方、イギリス海軍は第一次世界大戦においてモーターボートを艦載水雷艇のように運用することを着想し、まもなくCMB (Coastal Motor Boat) として独航による沿岸域での水雷襲撃も行うようになって、魚雷艇の端緒となった。 1880年のイギリス海軍2等水雷艇 イギリス海軍の駆逐艦「ハヴォック」 明治時代の日本の水雷艇タイプ初竣工年メーカー排水量(トン)速力(ノット)建造数第一号型水雷艇 1881年 ヤーロー 40 17 4 小鷹 1888年 ヤーロー 203 18 1 第五号型水雷艇 1892年 シュナイダー 54 20 16 第二一号型水雷艇 1894年 ノルマン 78 20 2 第二二号型水雷艇 1893年 シーハウ 83 23 19 第二九号型水雷艇 1900年 ノルマン 89 22.5 2 隼型水雷艇 1900年 ノルマン 152 28.5 15 白鷹型 1900年 シーハウ 123 25 1 第三九号型水雷艇 1901年 ヤーロー 110 27 10 第五〇号型水雷艇 1900年 ノルマン 53 20 10 第六七号型水雷艇 1903年 シーハウ 88 23.5 9
※この「進化と駆逐艦の登場」の解説は、「水雷艇」の解説の一部です。
「進化と駆逐艦の登場」を含む「水雷艇」の記事については、「水雷艇」の概要を参照ください。
- 進化と駆逐艦の登場のページへのリンク