昭和十八年以降の戦いとは? わかりやすく解説

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昭和十八年以降の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 14:55 UTC 版)

鳥海 (重巡洋艦)」の記事における「昭和十八年以降の戦い」の解説

1943年昭和18年2月15日鳥海空母2隻(隼鷹冲鷹)、戦艦2隻(金剛榛名)、水上機母艦日進重巡利根駆逐艦部隊時雨大波黒潮陽炎、嵐)と共にトラック泊地出港するが、悪天候のため航空隊収容できなかった3隻(隼鷹陽炎黒潮)はトラック引き返した2月20日鳥海横須賀帰還した3月上旬日本陸軍第十飛行団陸軍三式戦闘機「飛燕」装備)のラバウル進出決定する鳥海駆逐艦4隻(漣、響、黒潮親潮と共に三式戦部隊搭載した空母2隻(大鷹冲鷹)を護衛して4月4日横須賀出発した4月8日夜、待ち伏せていたアメリカ潜水艦タニー大鷹冲鷹対し10本の魚雷発射するが、すべて早爆だったため両艦の被害僅少だった。タニー日本空母3隻と報告しており、重巡洋艦鳥海空母間違えている。まもなく艦隊無事にトラック泊地到着した同時期、定期人事異動三川中将第八艦隊司令長官から退任鮫島具重中将新長官として着任することになった5月17日鳥海前進部隊編入された。6月30日連合軍カートホイール作戦発動してレンドバ島上陸開始ニュージョージア島の戦い始まった当時南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将)は、ラバウル第十一航空艦隊第八艦隊司令部置いており、同港に秋月型駆逐艦5番新月ほか秋風夕張望月皐月夕凪所在トラック泊地鳥海雪風涼風江風谷風浜風ブカ天霧初雪ブイン長月水無月三日月分散配備という状況である。同日附で各艦(鳥海谷風雪風涼風江風機関故障トラック帰投》)はラバウル進出下令され、同地到着以後南東方面艦隊指揮下に入るよう指示された。 7月5日深夜第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将旗艦新月)が指揮する支援隊(新月涼風谷風)・第一次輸送隊望月三日月浜風)・第二次輸送隊天霧初雪長月皐月)はコロンバンガラ島輸送作戦中に米軍巡洋艦3隻・駆逐艦4隻と交戦新月長月と米軽巡ヘレナ沈没し新月沈没時に秋山司令官以下第三水雷戦隊司令部全滅したクラ湾夜戦)。そこで新司令官着任まで数日間鳥海艦長有賀幸作大佐後日戦艦大和沈没艦長)が増援部隊臨時指揮官となった7月7日南東方面部隊兵力増強要請し連合艦隊第二水雷戦隊所属する2隻(軽巡神通駆逐艦清波)を南東方面部隊編入する11日ラバウル着)。つづいて第七戦隊重巡2隻(鈴谷熊野)に出撃準備命じた7月9日17時外南洋部隊指揮官鮫島中将は主隊(重巡鳥海軽巡川内)、警戒隊(雪風夕暮谷風浜風)、輸送隊皐月三日月松風夕凪)を率いてブイン出撃コロンバンガラ島進出するが米艦隊出現せず、陸兵1200名と軍需物資輸送作戦成功した7月10日秋山少将後任として伊集院松治大佐前職金剛艦長)が第三水雷戦隊司令官として着任し7月11日には第七戦隊熊野鈴谷)もラバウル到着する。新司令部準備がととのうまでの間、第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将増援部隊指揮官となった7月12日伊崎少将率い増援部隊旗艦神通)は再びコロンバンガラ島への輸送任務従事するが、アメリカ軍巡洋艦3・駆逐艦10隻と遭遇コロンバンガラ島沖海戦)。アメリカ側巡洋艦3隻が大破し駆逐艦1隻が沈没日本側は神通沈没して伊崎二水司令官以下第二水雷戦隊司令部全滅した日本軍大きな損害受けたが、それ以上アメリカ軍大打撃与えた判断し、再び敵水上艦艇撃滅輸送作戦の実施企図した。7月17日第七戦隊出撃は、ブイン大規模空襲により初雪沈没皐月水無月望月18日被害損傷のため中止となった7月18日22時、第七戦隊司令官西村祥治少将率い夜戦部隊重巡洋艦3隻(熊野旗艦》、鈴谷鳥海)、軽巡川内駆逐艦4隻(雪風浜風、清波、夕暮)はラバウル出撃19日17時20分には輸送隊三日月水無月松風)と合同21時に分離した。だが西村部隊行動PBYカタリナ飛行艇によって捉えられていた。このカタリナは「ブラック・キャット」と呼ばれる夜間哨戒機であり、レーダー西村部隊捕捉するガダルカナル島通報する。そのころ輸送隊揚陸成功したものの西村部隊敵艦艇を認めずクラ湾北方23時反転する月齢は15.5であった日付変更後夜間空襲により3隻(熊野水無月松風)が損傷した。また夕暮沈没し救援むかった清波も撃沈されたため2隻のほぼ全乗組員戦死した鳥海雷撃されるが被害はなかった。 8月5日ラバウル停泊中の鳥海外南洋部隊主隊から支援隊に編入された。10日ラバウル出発しトラック泊地回航12日、2隻(熊野鳥海)は空母雲鷹駆逐艦2隻(野分白露と共に内地むかった横須賀着後、21日附で外南洋部隊支援部隊から除かれた。それにともない第八艦隊から第二艦隊第四戦隊転出9月には機銃電探増備行い南方進出した詳細は「ラバウル空襲」を参照 1943年昭和18年11月上旬鳥海は『ろ号作戦ブーゲンビル島沖航空戦)』に呼応してブーゲンビル島上陸作戦支援するため、第二艦隊司令長官栗田健男中将指揮する第二艦隊重巡洋艦愛宕旗艦》、高雄摩耶鈴谷最上筑摩阿賀野型軽巡洋艦2番能代駆逐艦4隻(玉波、涼波、藤波早波からなる艦隊と共にラバウル進出するになった11月3日トラック泊地出撃、するとカビエン北方80浬で日章丸空襲により航行不能となり、2隻(鳥海、涼波)は同船救援のため栗田艦隊から分離した。だが11月5日第二艦隊進出先のラバウルアメリカ軍機動部隊空母サラトガプリンストン基幹)による大規模空襲遭遇する愛宕高雄摩耶最上筑摩能代阿賀野藤波若月大小損害を受け、特に摩耶被害大きかった南東方面艦隊重巡部隊トラック帰投命じ、2隻(鳥海、涼波)は11月7日朝にトラック泊地戻った1944年昭和19年1月20日早朝給糧艦伊良湖駆逐艦皐月と共に内地へ向けトラック泊地出発するが、アメリカ潜水艦シードラゴン)の雷撃伊良湖被雷した。このため鳥海トラック泊地北方遭難現場急行駆逐艦涼風・潮と共に伊良湖救援して21日トラック泊地戻った6月鳥海マリアナ沖海戦参加10月にはレイテ沖海戦参加した

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昭和十八年以降の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:51 UTC 版)

高雄 (重巡洋艦)」の記事における「昭和十八年以降の戦い」の解説

1943年昭和18年2月ガダルカナル島からの撤退支援するその後艦長猪口敏平大佐にかわり、トラック拠点中部太平洋活動した同年11月5日第二艦隊司令長官栗田健男中将旗艦愛宕)が指揮する巡洋艦部隊愛宕高雄鳥海摩耶鈴谷最上筑摩第二水雷戦隊)としてラバウル進出。そこで米空母艦載機による攻撃を受ける(ラバウル空襲)。「高雄」は二番砲塔右側付近に爆弾2発が命中右前水線部に大破孔を生じた。たまたま一番砲塔の扉が開いており、爆風炸薬引火した結果戦死者23名を出した被爆による負傷者22名。他に複数隻(愛宕摩耶最上筑摩阿賀野)等が損傷し、特に4隻(愛宕高雄摩耶最上)は内地回航要する被害受けた。「高雄」は横須賀戻り修理行った。 「高雄」の修理1944年昭和19年1月19日完了。「高雄」は空母瑞鳳」、「千代田」駆逐艦初春」、「若葉」、「玉波と共にトラック向かった航海中の2月1日、「高雄」と「玉波」は被雷悪天候のため艦首切断され航行不能となった空母雲鷹」の護衛命じられた。瑞鳳隊と分離して雲鷹隊と合流し駆逐艦皐月」、「潮」、「曙」、「初霜」、「白雲」、「玉波」、「沖波」、「岸波」等と協力してアメリカ潜水艦撃退して、「雲鷹」の曳航実施2月7日横須賀帰港した。この作戦で「高雄」はアメリカ潜水艦1隻撃沈報告している。2月15日パラオ向けて出航したその後パラオリンガ泊地、タウタウイ泊地訓練従事する1944年昭和19年6月19日高雄マリアナ沖海戦参加した前衛部隊として第一戦隊(大和、武藏)等と共に戦い、この時、甲部隊小沢艦隊)から発進した日本軍攻撃隊を敵編隊間違え右舷高角砲誤射している。この事故で数機が墜落した24日日本戻り7月20日リンガ泊地進出した詳細は「レイテ沖海戦」を参照 10月22日第四戦隊愛宕高雄鳥海摩耶)は栗田健男中将指揮第一遊撃部隊通称栗田艦隊または栗田部隊)に属しレイテ湾向けてブルネイ出撃した。10月23日パラワン島沖を航行中6時34分、アメリカ潜水艦ダーター」の放った魚雷2本が高雄右舷魚雷発射管真下右舷甲板命中した高雄艦長艦橋にいたが、航海長操舵士は旗甲板天測中のため副長取舵回避下令、2本を回避した総て避けきれなかったという。高雄戦死者33名を出し第三第四罐室を破壊され、外軸スクリュー失って大破洋上停止した第31駆逐隊駆逐艦長波と朝霜高雄警戒従事した高雄では真水タンク破損し海水蒸留して作って罐を焚いたため、6-11ノット発揮可能になったのは21であった2144分、高雄撤退開始ダーター追撃受けたが、護衛艦高雄水上機警戒により襲撃機会失いその後ダーター座礁して自沈した。10月25日17時14分、朝霜水雷艇護衛され、無事ブルネイ到着した。なお、本海戦高雄と共に被雷した姉妹艦2隻(愛宕摩耶)は沈没し開戦以来各地奔走してきた第四戦隊事実上壊滅した鳥海第五戦隊妙高羽黒)に臨時編入され25日サマール島沖海戦沈没した。4隻健在だった高雄重巡3日間で高雄1隻となってしまった。 11月8日高雄駆逐艦清霜護衛されブルネイ出発し11月11日シンガポール到着した愛宕乗組員一部は、補充として高雄配属されていた。まもなく空襲大破した重巡洋艦妙高シンガポール入港し、同艦の緊急修理が行われた。12月中旬妙高内地帰投のためシンガポール出航したが、潜水艦雷撃され大破重巡羽黒曳航され、シンガポール戻ってきた。

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昭和十八年以降の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 14:37 UTC 版)

秋月 (駆逐艦)」の記事における「昭和十八年以降の戦い」の解説

1943年昭和18年1月4日駆逐艦3隻(秋月、第16駆逐隊初風時津風》)は空母瑞鶴陸軍九九式双軽爆撃機輸送任務)を護衛してトラック進出する。「瑞鶴」は戦艦陸奥と共に内地帰投、3隻(秋月初風時津風)は前進部隊編入された。ガ島増援任務投入されていた第二水雷戦隊長波陽炎親潮涼風)等の疲労消耗はなはだしく健在艦と交代させる必要があったからである。「秋月」には第十戦隊司令官木村進少将座乗、十戦隊旗艦となる。1月10日、「秋月」に先行してガ島輸送作戦参加した初風」はアメリカ軍魚雷艇襲撃により大破、嵐・江風時津風護衛されショートランド帰投することができた。 1月15日、「秋月」(第十戦隊旗艦)は陽炎型駆逐艦8隻(黒潮時津風浦風磯風浜風谷風、嵐、舞風)を指揮しガダルカナル島へのドラム缶輸送従事する警戒隊(秋月黒潮時津風、嵐)、輸送隊谷風浦風浜風磯風舞風)という区分である。重巡部隊鳥海羽黒熊野水上偵察機掩護によりアメリカ軍魚雷艇部隊撃退されたものの、B-17SBDドーントレス襲撃により4隻(嵐《大破》、谷風浦風浜風)が若干損傷を受け、勝見中佐(谷風駆逐艦長)が戦死した。なお1月15日附で秋月型2番艦「照月」は第61駆逐隊から除籍され秋月型3番涼月4番初月が第61駆逐隊編入された。 1月19日駆逐艦時雨」は輸送船妙法丸、帝洋丸、第一眞盛丸を護衛していたが、14時35分に「妙法丸」が米潜水艦ソードフィッシュ雷撃を受け、20日未明沈没した。「秋月」と敷設艦初鷹妙法救助のためブーゲンビル島沖合出動する夜間秋月南緯5度38東経15620分 / 南緯5.633度 東経156.333度 / -5.633; 156.333(ブーゲンビル島北東海域)で米潜水艦雷撃遭い一時航行不能となった雷撃に合う直前見張り員が4000mの距離に敵潜水艦発見しており、射撃用意完了艦長が「打ち方始め」の号令出そうとしていた。しかし砲術参謀が「味方潜水艦かもしれないので照射してはどうか」と遮って具申行った艦長反対したものの、木村司令官具申を採り上げたもしくは木村司令官砲術参謀任せたことにより照射が行われた。しかし、探照灯管制機の不調補足できない間に敵潜水艦潜行爆雷用意行いながら海面向かっていた所を被雷したという。この米潜水艦ノーチラスであった魚雷2本(1本不発)が命中。缶室1つ浸水し戦死14名、戦傷63名を出した。なお、駆逐艦秋風」が救難にむったが、「妙法丸」の沈没により次の船団護衛任務まわされている。 1月20日、「秋月」はショートランド入港して応急修理を行う。翌日第十戦隊旗艦夕雲型3番艦「風雲」に変更された。また木村司令官も「秋月被雷時に負傷したため、第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将21日附で第十戦隊司令官任命され1月23日ラバウル到着した将旗徹した後の「秋月」は1月30日ショートランド泊地発。2月2日トラック着と同時に工作艦明石横付けして修理受けた2月3日、第61駆逐隊司令も則満大佐から大江覧治大佐前職19駆逐隊司令)に交代した3月11日トラック出港し東京丸サイパンまで護衛した3月13日到着。翌14日修理のため佐世保向けて出港したが、サイパン北西40浬で艦橋キール切断、勝泳丸に曳航されサイパン戻り艦橋撤去した艦橋松安丸に移載。さらに強度落ち折れ曲がった船体前部切断し、その状態で6月24日神光丸に曳航されサイパン出港する駆逐艦2隻(卯月、漣)が曳航される「秋月」を護衛していた。航海中の6月30日、第61駆逐隊から除籍され第二予備艦指定される7月5日長崎到着した7月27日古賀彌(秋月)駆逐艦長妙高型1番艦「妙高副長転任本艦駆逐艦長不在となった

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