航空機輸送任務
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海鷹が竣工する直前の1943年(昭和18年)11月15日、日本海軍は海上交通保護および対潜掃蕩を主任務とする海上護衛総司令部を設置した。12月15日付で大鷹型空母3隻(大鷹、雲鷹、海鷹)は海上護衛総司令部部隊(附属部隊)に編入された。12月20日付で空母神鷹(元ドイツ貨客船シャルンホルスト。12月15日竣工)も海上護衛総司令部部隊に編入された。だが海上護衛総司令部部隊は大鷹型空母4隻(大鷹、雲鷹、海鷹、神鷹)を揃えたものの実際に活動する準備が出来ておらず、3隻(海鷹、神鷹、雲鷹)は連合艦隊の指揮下に入り航空機輸送任務に投入された。海鷹の最初の任務は、第二十三航空戦隊の南西方面輸送任務である。 1944年(昭和19年)1月8日、空母2隻(神鷹、海鷹)、吹雪型駆逐艦3隻(電、響、薄雲)はシンガポールに向け内海西部を出発したが、神鷹の機関故障により大分県の佐伯に仮泊した。神鷹は呉に回航され、シンガポールには3隻(海鷹、電、響)のみが向かった。1月12日に佐伯を出発後、16日マニラに到着した。18日に出発。21日、海鷹隊はシンガポールに到着した。同地で艦上攻撃機天山21機もしくは26機(第五五一海軍航空隊)を搭載する。天山は飛行甲板に固縛された。五五一空主計長の門司親徳主計大尉は、ミッドウェー作戦時に呉鎮守府第五特別陸戦隊主計長としてあるぜんちな丸に乗船しており、貨客船時代との違いに驚いている。 1月31日、海鷹隊はシンガポールを出発した。2月3日-4日はタラカン、2月7日-8日はパラオ滞在、2月11日にトラック泊地に到着した。ただちに天山を陸揚げする。2月13日、海鷹はトラック泊地を出発する。だが本艦が輸送した天山は、2月17日以降のトラック島空襲で破壊されてしまった。海鷹隊はサイパンを経由し、2月20日に呉へ戻った。同20日付で、海鷹は連合艦隊の作戦指揮下を離れる。 詳細は「雄作戦」を参照 当時、軍令部と連合艦隊はマーシャル群島のメジュロ環礁を根拠地とするアメリカ海軍機動部隊に対し、奇襲攻撃を計画していた(雄作戦)。日本海軍の保有空母13隻全力を投入する大規模作戦である。本作戦において、大鷹型は各艦零戦24機を搭載予定だった。だが3月下旬の海軍乙事件で連合艦隊司令長官古賀峯一大将遭難、福留繁参謀長捕虜という事態により、立ち消えとなった。
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