佐世保鎮守府所属とは? わかりやすく解説

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佐世保鎮守府所属

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/18 19:19 UTC 版)

大鷹 (空母)」の記事における「佐世保鎮守府所属」の解説

ラバウル方面航海中の1942年昭和17年8月31日特設航空母艦2隻(春日丸八幡丸)は、それぞれ軍艦大鷹タイヨウ)および軍艦雲鷹ウンヨウ)と改名された。2隻は同日附で正式に航空母艦となった大鷹佐世保鎮守府籍に所属艦容変化はない。9月2日ラバウル到着して航空機輸送任務終えた大鷹ラバウルに入泊した唯一の日本空母となったつづいて21航空戦隊、第23航空戦隊の戦闘機艦爆輸送任務従事する9月13日ミンダナオ島ダバオ出発17日カビエン沖合航空隊発艦22日ダバオ25日カビエン沖合発艦、これで輸送任務終了し、第7駆逐隊護衛下でトラック泊地向かった。一旦、内地帰投予定となる。なお本艦航海中、大鷹搭載機大幅に減らされることになった9月28日大鷹トラック南水道南方で米潜水艦発射した魚雷1本(2本とも)を被雷した。命中箇所右舷前部。このアメリカ潜水艦タンバー級潜水艦トラウト(USS Trout, SS-202) である。トラック泊地では宇垣纏連合艦隊参謀長第二海上護衛隊将校が「近来潜水艦依る被害少くなれるは結構なり」と会談した直後襲撃被雷であった大鷹羅針儀故障により、附近航行していた漣に水路嚮導依頼する機関科勤務者を中心に死傷者13名(戦死3、重傷3、軽傷7)を出し速力16ノット戦闘詳報では14ノット)で入泊した第四工作部明石)が応急修理おこなった宇垣連合艦隊参謀長は、横須賀鎮守府損傷2隻(大鷹、漣)の特急修理要請した10月1日九六式艦上戦闘機3機、九六式艦上爆撃機5機を収容する10月4日駆逐艦2隻(時津風、漣)と共にトラック出発13日哨戒艇46号護衛され豊後水道通過時)、14日に呉着。前部ガソリンタンクの損傷により気化燃料漏れ出しマリアナ沖海戦における空母大鳳のように爆沈しかねない情況下での航海だったという。呉到着と共に時津風指揮下を離れた内地帰投後、大鷹戦闘機隊は解散した大鷹飛行五十嵐周正少佐呉鎮守府附)。 10月22日吹雪型駆逐艦響(第一水雷戦隊・第6駆逐隊所属)が大鷹艦長指揮下に入る。響は第6駆逐隊僚艦3隻(暁、、電)と分離し大鷹艦長指揮下で行動することになった10月24日附で大鷹艦長は、高次一大佐から篠田太郎大佐交代した篠田10月1日まで特設水上機母艦神川丸艦長後任神川丸艦長松田尊睦大佐)。10月28日大鷹は呉を出発駆逐艦2隻(響〈第6駆逐隊〉、漣〈第7駆逐隊〉)等に護衛され横須賀向かった大鷹11月1日横須賀出発6日トラック到着した以後航空機輸送任務従事するガダルカナル島の戦い激化するにつれて航空機消耗増える一方であり、大鷹型航空母艦内地前線幾度も往復航空機輸送任務奔走した1943年昭和18年2月上旬から8月中旬まで、空母3隻(大鷹雲鷹冲鷹)は横須賀・トラック・フィリピン・スラバヤ方面陸海軍輸送任務従事した双発夜間戦闘機月光ラバウル進出にも協力している。また海軍機だけでなく、陸軍機の輸送行った3月上旬日本陸軍三式戦闘機「飛燕」部隊飛行第六十八戦隊)のラバウル進出決定する三式戦闘機搭載した空母2隻(大鷹冲鷹)は重巡鳥海駆逐艦4隻(漣、響、黒潮親潮)に護衛され4月4日横須賀出発したが、4月8日夜、アメリカ潜水艦タニー(USS Tunny, SS/SSG/APSS/LPSS-282) が空母部隊発見する。距離800m大鷹対し艦尾発射管より魚雷4本を発射したが、早爆した。魚雷命中誤認したタニー冲鷹対し魚雷6本を発射する同じく早爆に終わった10日トラック泊地到着して任務終える。だが三式戦部隊トラックからラバウルへの空輸において、液冷エンジン故障航空機による航法誘導失敗により、不時着や行不明機を多数出してしまった。 4月16日空母2隻(大鷹冲鷹)は駆逐艦3隻(時雨有明、響)に護衛されトラック出発21日横須賀帰投した。前年10月より大鷹指揮にあった響(第6駆逐隊4月15日附で内南洋部隊編入)は、4月21日より主力部隊編入その後5月中旬よりキスカ島撤退作戦従事のため北方部隊第五艦隊)に編入され別行動となった5月大鷹フィリピンおよびシンガポールスラバヤ等、東南アジア方面輸送作戦従事5月29日大鷹艦長篠原大佐から、松田尊睦大佐松田4月26日まで神川丸艦長)に交代する7月23日より、トラックへの輸送3回従事した8月4日大鷹駆逐艦2隻(舞風大波と共にトラック出港舞風(第4駆逐隊)は4日夕刻分離したため、護衛艦夕雲型駆逐艦大波駆逐艦長吉川潔中佐)1隻となった8月6日13時、対空訓練のため大鷹之字運動をやめ速力18ノット直進していた。この時、アメリカ潜水艦パイク(USS Pike, SS-173) が大鷹向けて魚雷6本を発射した右舷跡4本を認めた大鷹左舷転舵、すると大鷹右舷中央部煙突附近)に魚雷1本が命中した不発だった。負傷者2名、不発魚雷水線5m窪み生じさせた。潜望鏡向けて高角砲機銃発砲後方大波制圧加わったが、パイク損傷なく離脱して行った8月9日、2隻(大鷹大波)は横須賀到着した8月17日主力部隊戦艦3隻〈大和長門扶桑〉、空母大鷹〉、巡洋艦3隻〈愛宕高雄能代〉、駆逐艦部隊涼風海風秋雲夕雲若月天津風初風〉)として呉を出撃し、23日トラック進出一度日本本土へもどったのち、9月7日空母2隻(大鷹冲鷹)は駆逐艦3隻(浦風風雲五月雨)に護衛され横須賀出発11日到着した9月21日、3隻(大鷹冲鷹島風)はトラック泊地出発9月24日艦隊島風駆逐艦島風先頭に、島風-冲鷹-大鷹という速力20ノット単縦陣航行していた。悪天候の中、父島北東200北緯28度2分 東経14559分 / 北緯28.033度 東経145.983度 / 28.033; 145.983で輸送艦隊は敵潜に襲撃される午前7時前後暗号解読により待ち伏せていたアメリカ潜水艦カブリラ (USS Cabrilla, SS/AGSS-288)が魚雷6本を発射した日本側はカブリラに気付いておらず、大鷹右舷500m多数跡を認めてから15秒後、すくなくとも魚雷3本右舷三ヶ所艦尾起爆〉、前部火薬庫不発〉、爆弾庫〈不発〉)に命中した前部弾薬庫にも1本が命中していたが、不発であった一方艦尾附近命中した魚雷スクリューと舵取機室を破壊機械停止して本艦航行不能となる。被雷による死傷者は、戦死9名、重軽傷24名と報告されている。衝撃で海に投げ出され本艦乗組員のうち、2名は大鷹救助艇に、8名は島風収容された。島風は敵潜撃沈報告しているがカブリラは沈んでいなかった。対するカブリラも島風反撃悪天候により空母2隻(大鷹冲鷹)にとどめをさすことが出来ず、また連絡受けたアメリカ潜水艦ジャック (USS Jack, SS-259)も大鷹を狙うが捕捉失敗した一方航行不能になった大鷹は、冲鷹曳航することになった午後2時すぎ、2隻(沖鷹大鷹)は速力11ノット程で横須賀向かった。なお駆逐艦漣(第7駆逐隊)も救援向かった会合点に艦隊発見できず、25日13時に相手位置尋ねている。また横須賀停泊していた駆逐艦白露第27駆逐隊)も25日大鷹救援のため出動護衛部隊に加わった26日16時30分、5隻(大鷹冲鷹島風、漣、白露)は横須賀到着ドックにて調査したところ大鷹右舷への不発魚雷命中痕跡は五ヶ所にのぼり、さらに左舷にも命中時期不明不発魚雷命中痕跡いくつかあったという。 横浜船渠三菱重工業株式会社横浜造船所)における大鷹修理は、長期間及んだ。この時に飛行甲板前方へ10m延長長さ172m)したが、それでも龍鳳潜水母艦大鯨改造空母)より13mも短く低速という事もあって改造効果薄かったとみられる一方田村俊夫乗員からの聞き取り調査行い飛行甲板延長無かったとしている。11月17日松田大鷹艦長)は軽巡洋艦阿賀野艦長転任となった横須賀海軍港務部長松野俊郎大佐が、大鷹艦長職務兼務する

※この「佐世保鎮守府所属」の解説は、「大鷹 (空母)」の解説の一部です。
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