歴史・艦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 18:37 UTC 版)
日本海軍は、ロンドン海軍軍縮条約による航空母艦の保有制限から逃れるために戦時に航空母艦に迅速に改造できる艦船の保有計画を持っていた。その計画により建造されることになったのが、高速給油艦高崎(たかさき)および同型艦の剣埼(後の祥鳳)である。1936年(昭和11年)6月19日、特務艦(給油艦)高崎として進水し、完成予想図を描いた艦名入り絵葉書が発行された。その後、建造途中で軍縮条約から脱退したために、より航空母艦に改造しやすい潜水母艦に計画変更され、さらに潜水母艦から航空母艦へと計画を再変更、艦名も高崎から瑞鳳へと改名された。1940年(昭和15年)12月27日、航空母艦瑞鳳として竣工。空母としては姉妹艦祥鳳(剣埼)より先に完成した。佐世保鎮守府所属。1941年(昭和16年)初頭より乗組員慣熟訓練と航空機発着艦訓練を実施、4月上旬に第一艦隊第三航空戦隊に編入、空母鳳翔の僚艦となった。10月、航海実習と軍需物資輸送を兼ねて台湾の高雄市へ航海を行う。 1941年(昭和16年)12月8日、南雲機動部隊による真珠湾攻撃が実施されると、日本本土で待機していた第三航空戦隊(鳳翔、瑞鳳、駆逐艦三日月・夕風)は連合艦隊旗艦長門以下戦艦6隻、巡洋艦7隻、護衛駆逐艦多数と出撃、小笠原諸島近海まで航海を行い、13日に桂島泊地へ戻った。瑞鳳は搭載機による対潜警戒・哨戒任務に従事したが、開戦当日に九七式艦上攻撃機1機を着艦失敗により喪失した。
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