歴史・背景・世界的観点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 09:18 UTC 版)
「視覚障害者」の記事における「歴史・背景・世界的観点」の解説
日本においては明治維新以前の時代では、当道座、盲僧座、瞽女屋敷などの自治的組織がいくつかあり、中でも当道座では検校や勾当、別当、座頭などの官位が与えられ、音楽家や鍼灸按摩を専業としていた。当道の座の最高職である「総検校」(または「職検校」)は、十万石の大名に匹敵する地位と格式を有していた[要出典]。 過去「めくら」と呼ばれたが、現在では差別的(差別用語)とされたり、「視覚障害者」という言葉の指し示す対象が拡がってきた事もあり、使わない傾向にある。 障害者、特に視覚障害者はどの時代や国、地域にも広く存在する社会的少数者(マイノリティ)であるとされ、生活は時代や国により大きな制約を受ける。WHOによれば、世界の視覚障害者は推計2億5300万人、そのうち3600万人が全く見えず、2億1700万人は中度から重度の視覚障害を持っているという。視覚障害者の内「弱視者」(またはロービジョン者)の割合は7割とされている。 一般的に「“(行政から)認定を受けた”視覚障害者(とりわけ全盲の人)」を指していることが少なくない。本質的な「障害」に対する考え方は、日本図書館協会の「図書館利用に障害のある人」という定義や、ロービジョンケアにおける考え方、近年の「障害者の権利に関する条約」に基づく、政府による障害者の定義の見直しにも見られるように、日本においても医学モデルから社会モデルへの転換が図られつつあり、従前のとらえ方では選に漏れる人たちが多数発生することに注意が必要である。たとえば、夜盲症(鳥目)や眼瞼下垂、眼震、羞明、複視、色覚異常、昼盲も言葉の定義からすれば、視覚障害ではあるが、これらは身体障害者福祉法における視覚障害の定義には含まれない。
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