霞ヶ浦航空隊の発足と海軍航空精神
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「航空魚雷」の記事における「霞ヶ浦航空隊の発足と海軍航空精神」の解説
1922年(大正11年)11月、センピル大佐は講習の任務を終了し、勲三等を賜り、大部分の人員をつれて帰国した。これに伴いセンピル教育団当時の臨時海軍航空術講習部は廃止されて、この1922年(大正11年)11月に、霞ヶ浦海軍航空隊は正式に開隊した。これは佐世保鎮守府所属の大村海軍航空隊の開隊と同時だった。霞ヶ浦航空隊と横須賀航空隊には練習部が設立され、霞ヶ浦では航空術の教育と研究、横須賀では気球による教育と研究が行われた。 1927年(昭和2年)~1928年には、航空母艦赤城、航空母艦加賀が就役し、このころ海軍航空本部も艦政本部から独立した。 1930年(昭和5年)、館山に航空隊が設立された後は、霞ヶ浦と横須賀の両航空隊は練習航空隊となった。
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