佐世保電気時代
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京都電気佐世保支店の事業を買収した佐世保電気株式会社は、事業の受け皿として福澤桃介・松永安左エ門らによって発起され、1912年10月17日佐世保市福石町に資本金100万円(25万円払込)にて設立された。社長に福澤、取締役に松永らが就いた。当時、福澤は福岡市に本社を置く電力会社九州電灯鉄道の相談役、松永は同社常務取締役であった。 佐世保電気による経営の期間は短く、翌1913年(大正2年)9月15日、佐世保電気と上記の九州電灯鉄道との間で合併契約が締結された。合併に際しての存続会社は九州電灯鉄道側で、同社は増資の上、佐世保電気の株主に対し同社株式計2万株(額面50円のうち30円払込み)と九州電灯鉄道の新株1万8,082株(額面50円のうち25円払込み)を交換する、という合併条件であった。合併契約は30日の株主総会で承認されるが、佐世保電気側の一部株主には、将来有望の会社であったにもかかわらず合併条件が悪いため合併延期を希望する、と主張する者がいたという。 1913年11月30日、九州電灯鉄道にて合併報告総会が開かれ合併手続きが完了した。このとき、同じ長崎県の大村・諫早地方を供給区域としていた大諫電灯も合併されている。九州電灯鉄道の長崎県進出はこの後も続き、1916年(大正5年)には長崎電気瓦斯も合併された。この間の1914年(大正3年)8月、送電線と佐世保変電所が完成し、佐賀県の川上川(嘉瀬川)にある水力発電所から佐世保への電力供給が開始されたことで、佐世保発電所(当時出力530キロワット)は廃止となった。 佐世保電気の合併から8年半後の1922年(大正11年)、九州電灯鉄道は名古屋市の電力会社関西電気(旧名古屋電灯)と合併、東京に本社を置く東邦電力株式会社が成立した。佐世保市では、東邦電力の時代には同社佐世保支店が設置されていた。
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