航空機運用能力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:18 UTC 版)
優れた舟艇運用能力と並ぶもう一つの大きな特徴として、上陸部隊支援用の航空機の運用能力がある。2層構造の上部構造物内上段に航空機格納庫(秘匿名「馬欄甲板」)を設け、最大12機程の戦闘機・偵察機(偵察爆撃機)を搭載・使用可能であった。実際に九一式戦闘機 6機と九七式軽爆撃機 6機の12機を搭載したことがあったという。離船(発艦)手順は、大型デリックを用い前部甲板の円形台座に設置した秘匿名「KS」こと呉式二号射出機三型改二(海軍製の火薬式カタパルト)に、船橋ブリッジ下部の格納庫開口部に用意した機体を載せ射出となる。九二式偵察機、九四式偵察機、九八式直接協同偵察機の射出実験を行ったことがあった。 神州丸に着船設備はなく、また使用機は水上機ではない陸上機であるため、機体は占領した敵飛行場・臨時造成飛行場に着陸、陸上・水上に不時着・不時着水するか、操縦者は乗機を捨て落下傘降下によって収容される。これに類似する運用能力を持つ船舶としては、のちの第二次世界大戦時に輸送船団護衛のためイギリス海軍が実戦投入したCAMシップが該当する。「神州丸」と同じくカタパルトによって発船した戦闘機は、敵機を迎撃した防空戦闘後には陸上の飛行場に向かうか、船団付近に不時着水ないし落下傘降下し操縦者は収容されていた(このCAMシップおよびMACシップは一般の輸送船(商船)を臨時に改装したものであり、日本の「神州丸」以下特種船と異なり揚陸艦ではない)。 この航空機運用能力は画期的なものであったが、航空機の急速な発達により建造後数年で実質的な意味を失ってしまい、その運用難度からも使用される事は殆どなかった。実戦でKSが使用されたのは日中戦争中の1937年9月23日、白河々口から乗船した独立飛行第4中隊が上海に向けて洋上離船した例が唯一である。しかしながら、神州丸はただの揚陸艦から一歩進んだ、総合的な上陸戦遂行能力を持った強襲揚陸艦の先駆的存在であった。のちの第二次大戦時に建造される量産特種船のうち、航空機運用能力を改良・発展させた丙型あきつ丸(およびM丙型熊野丸等)は、全通式飛行甲板を有す等本格的な航空設備が設けられたより先進的な揚陸艦となっている。
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