アメリカ軍の再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)
アメリカ軍の受けた被害は戦艦などの艦船と飛行場などに集中し、その被害の大きさに比べて、艦船乗組員の多くは上陸していたため人的被害は大きくなかった。乗艦を失った乗組員の多くは、新たに建造された空母へと配置転換された。追加的な攻撃もなされなかったため、乾ドックなど港湾施設の損害も少なかった。これは沈んだ戦艦の再生など被害からの復旧の助けとなった。 大本営海軍報道部は、アメリカ戦艦5隻撃沈・3隻大破修理不能と大本営発表を行った。だが沈んだ戦艦8隻のうち6隻は後に引き揚げられ修理され復帰しており、最終的にアメリカ軍が失った戦艦は、アリゾナとオクラホマの2隻であった。太平洋戦争中この時以外でアメリカ戦艦の喪失はない。空母エンタープライズ・レキシントンは真珠湾外で航空機輸送任務に従事していたため無傷であり、残る空母のサラトガ・ホーネット・ヨークタウン・ワスプ・レンジャーは西海岸または大西洋配置で日本軍が撃沈できる可能性は皆無であり、これらの空母はその後の作戦において大きな力を発揮した。 また、給油艦ネオショーや重油タンクといった補給設備は奇襲攻撃の対象とはならなかった。これについて、日本軍の攻撃不足であったとする批判が持ち上がることがあり、特に450万バレルの重油タンクを攻撃しなかったことが槍玉に挙げられることが多い。ただし「450万バレル(トン数になおすと60万t)」という貯蓄量は、1930年代の時点でアメリカ海軍省がおこなった総石油消費量試算で、「太平洋艦隊は戦闘時で1カ月あたり50万トンの燃料を消費する」という結果が出ているのと、その後アメリカ海軍は対日本戦を意識して強化され保有艦数も増えていること、さらにアメリカの豊富な石油資源(1940年のアメリカの石油保有数は19,500億kL)とアメリカ軍の輸送能力を考慮に入れればそれほど大きな量ではない上に、そもそも非常に燃え辛い性質である重油がタンクに貯蔵された状態で多少の爆撃を受けた程度で爆発炎上するとは考えにくく、少数精鋭の航空機をすべて艦隊攻撃に回す他ない奇襲計画自体の余裕のなさを考え合わせれば、タンクを攻撃してもしなくても同じような状況だったと言える。また、日本海軍でも空襲に備え燃料は地下に貯蓄されていたため、「地表のタンクは囮である」と攻撃隊が判断し、あくまで主目標である艦隊への攻撃に集中するという判断に至ったとしても批判の対象とするには厳し過ぎる。 当初からアメリカの国力差から、日本軍は短期決戦を想定していたが、攻撃目標に含まれていた主力空母2隻を撃沈できなかったことは緒戦でアメリカ軍が持ちこたえる原動力となり、日本軍の短期決戦戦略が頓挫する一因となった。もっとも大本営海軍報道部は日本軍潜水艦が「エンタープライズ」を不確実ながら沈めたと発表した。翌年3月7日のニューギニア沖海戦でも、日本軍は空母「レキシントン」を攻撃して大損害を与えたものの、エンタープライズ型空母1隻撃沈を発表している。マーシャル・ギルバート諸島機動空襲やドーリットル空襲など一撃離脱を行うアメリカ海軍機動部隊は日本軍にとって悩ましい存在であり、これを一挙に撃滅すべく山本長官と連合艦隊司令部はミッドウェー作戦を発動することになった。
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