アメリカ軍の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:13 UTC 版)
「第一次ソロモン海戦」の記事における「アメリカ軍の動向」の解説
アメリカ軍の上陸部隊はその物資揚陸に手間取っており、どんなに急いでも9日早朝までかかる見込みであった。この輸送船団を護衛するために米水上部隊は以下の三群に分かれて泊地の3つの出入り口で警戒配備についていた。 第62任務部隊(リッチモンド・K・ターナー少将〈米〉)部隊司令官南方部隊(V・A・C・クラッチレー少将〈英、水上部隊指揮官〉)サボ島とガ島の間の南水道警備重巡オーストラリア(豪)、キャンベラ(豪)、シカゴ(米) 駆逐艦パターソン(米)、バッグレイ(米) 北方部隊(フレデリック・F・リーフコール大佐〈米〉)サボ島とフロリダ島の間の北水道警備重巡ヴィンセンス(米)、クインシー(米)、アストリア(米)(3隻ともニューオーリンズ級重巡洋艦) 駆逐艦ヘルム(米)、ウィルソン(米) 東方部隊(ノーマン・スコット少将〈米〉)ツラギ島東方とガ島の間のシーラーク水道警備軽巡サン・ファン(米)、ホバート(豪) 駆逐艦モンセン(米)、ブキャナン(米) 哨戒隊:駆逐艦ラルフ・タルボット(米)、ブルー(米)サボ島南北水道外側に一隻ずつ前程哨戒配備。 連合軍の戦力は第八艦隊を圧倒的に上回っていたが、夜を徹して行なわれている物資揚陸作業と、日中の空襲により36時間にわたって戦闘配置が続けられており、乗員の疲労は厳しかった。また、8日午前中にブーゲンビル島近海で哨戒機3機が発見した日本艦隊について連合軍に三通の情報がもたらされたが、「ラバウルへ向かう」或いは「島嶼間の移動」と判断され、対策を怠った。空母エンタープライズとワスプでは、第八艦隊を攻撃するかどうかで議論が起こった。 当時、南方部隊旗艦オーストラリアでは、水上部隊指揮官クラッチレー少将がターナー司令官と上陸部隊指揮官バンデグリフト少将と作戦会議を行なうためにツラギ港外の旗艦輸送船マーコレーに向かっており、第八艦隊突入時は戦列から離れていた。そのためクラッチレー少将に代わり、一時的に米重巡シカゴ艦長ハワード・D・ボード大佐が南方部隊の指揮を取っていた。しかしクラッチレー少将は統一指揮権を誰にも移譲せぬまま戦列を離れており、これが後に連合軍の情報共有の欠如として現れることとなる。 連合軍指揮官達は、第八艦隊を迎撃するために米・豪州艦隊を派遣する案を早々に放棄した。輸送船団が丸裸になるからである。更にターナー司令官は上述の偵察機の情報より日本艦隊はガダルカナル島ではなく水上機基地建設のためイザベル島に向かっていると判断しており、万が一日本艦隊が突入してきても護衛部隊で撃退できるであろうと楽観していた。これにより、作戦会議の議題はフレッチャーの機動部隊の離脱により上空援護のなくなってしまったこの泊地での揚陸作業を如何に早く終わらせるかということに集中していた。9日朝に予想される輸送船団の撤収後、水上部隊で迎撃する案が検討されたが、ターナーは日本艦隊に関する情報が得られるまで決定を先のばしにした。「恐怖のターナー」「米海軍のパットン将軍」と渾名されたターナーにしては珍しい決定だった。
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