アメリカ軍の反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 16:10 UTC 版)
8月7日、アメリカ軍はドイツ軍の攻撃の右側面、ヴィレ南近郊で反撃を行った。この地点を攻略するよう命令されていたドイツ第116装甲師団はこの反撃で押し戻されていた。午後、第116装甲師団は第1SS装甲師団一部部隊と共同で攻撃を再開したが、モルタン側面はすでに防御されており、アメリカ第VII軍団にその動きを封じられた。 一方、ブラッドリーはドイツ軍左側面(南方向)へ攻撃命令を下した。8月8日、アメリカ第2機甲師団がドイツ軍2個SS師団の後部に攻撃を行った。ドイツ軍は作戦発動以来、数日間戦闘を続けたが、一向に戦況が回復する見込みがなかった。そして、ドイツ軍はついに防御に回るよう命令が下されたが、全軍に伝わらず、後退している部隊と前進する部隊が混在し、成し遂げられなかった。 アメリカ第1軍がモルタン近郊で反撃を開始したため、第3軍は南方面へドイツ軍の反撃なしに進撃し、8月8日、ルマン近郊に至った。同じ日、第1カナダ軍はトータライズ作戦を発動、カーン南で弱体化したドイツ軍を攻撃、ファレーズへ突破を図ったが、この攻撃は2日間遅れた。ヒトラーはさらに戦力を増やしてモルタンを攻撃するよう命令し、第9装甲師団(第3軍の進攻を防げる位置にいた唯一の部隊)を攻撃に参加させるためにモルタンへ移動させるよう要求した。さらにヒトラーは、第5装甲軍司令官(ハインリッヒ・エーバーバッハ)の配下の部隊から抽出して戦闘団を設立するよう指示し、その部隊は「エーベルバッハ戦闘団」と名づけられ、攻撃再開を命じた。クルーゲはヒトラー暗殺計画に付随してゲシュタポに逮捕されることを恐れていたため、この自暴自棄的な命令に黙って従っていた。エーベルバッハは反撃作戦を提案したが、その前にアメリカ軍と戦闘になったため、結局、反撃作戦が行われることはなかった。
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