アメリカ軍の増派
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アメリカ合衆国からは8月14日に1万1000人の地上部隊がフィリピンを占領するために送られた。この時、フィリピン駐留アメリカ軍司令官となり、実質的なフィリピンの植民地総督となったのが、アーサー・マッカーサー・ジュニアである。(彼の三男がダグラス・マッカーサーである) アメリカ軍はリンガエン湾でサン・ハシントの戦い(英語版)(1899年11月11日)に勝利し、マッカーサーの本隊と合流した。 黒人兵のなかに「なぜ白人のためにニガーがニガーを殺すのか」という疑問が広まり、1899年11月にはデビッド・ファーゲン(英語版)ら9人が脱走し、アギナルド軍に加わった。ファーゲンは現地兵をよく統率してアメリカ軍に痛撃を与え、その功で現地軍の大尉に昇進してフィリピン人の妻も得た。 1899年12月2日のティラード峠の戦い(英語版)で、グレゴリオ・デル・ピラール(英語版)准将はアギナルドを逃がすために戦闘を遅らせたが、ピラール本人は最後の攻撃で殺害された。
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