アメリカ軍の出撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 08:19 UTC 版)
ドラモンド将軍の軍隊はこの攻撃で蒙った大きな損失に加えて、病気と疲弊でかなり戦力が弱っていた。イギリス軍にはテントが無く、木の皮と枝で造られた粗末な小屋とシェルターでは、ほとんど夜露を凌げなかった。秋の雨が始まると、地面は急速に数インチも水に浸かった。それでもドラモンドは第6および第82歩兵連隊の補強を受けた。どちらも半島戦争でウェリントン公の軍隊に仕えていたベテランだった。この部隊で包囲戦を維持した。ルイ・ド・ワットビル少将も加わり、包囲戦の日々の行動について指揮を執った。 8月29日、イギリス軍の狙撃でゲインズ将軍が重傷を負い、リプリー准将が指揮を交代した。この方面作戦全体に対するリプリーの意見は積極的なものとはとても言えず、またイギリス軍がさらに援軍を増やして砦を取りに来るという噂もあった。ジェイコブ・ブラウン少将はランディーズ・レーンの戦いで受けた傷から少しばかり快復しただけだったが、それでもエリー砦に戻って、悲観的なリプリーから指揮権を取り上げた。ドラモンドの部隊は勢力を落としているという噂があり、ドラモンドが成功できない包囲を諦めるまで単純に待てばよいという意見が強かったが、ブラウンは攻撃に出る決断をした。
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