アメリカ軍の動き
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アメリカ国内の軍隊をアメリカ南東部に移動させ、空軍戦略航空軍団は警戒レベルを引き上げ、180隻の海軍艦艇をカリブ海に展開させて海上封鎖の準備を整えた。アメリカ軍全部隊の警戒態勢は、22日の大統領演説中にDEFCON(Defence Condition; デフコン)3となった。これは最高度の警戒レベルであるDEFCON1と平時のDEFCON5の中間にある警戒レベルである。迎撃機が各地に配置され、すでに空軍戦略航空軍団(SAC)は警戒レベルを上げていた。そして戦略爆撃機のうち8分の1は常時上空に待機する(飛行中)体制となった。万が一ソ連が奇襲しても爆撃機が確実に生き残れるようにするためであった。
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アメリカ軍の動き
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「キスカ島撤退作戦」の記事における「アメリカ軍の動き」の解説
「コテージ作戦」も参照 アメリカ軍は1943年8月15日に予定したキスカ島上陸作戦に向けて着々と準備を進めており、戦艦ミシシッピー、アイダホの戦艦二隻と重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦9隻を中心とした艦隊で海上封鎖及びキスカ島砲撃を行っていた。 7月23日、アメリカ軍のカタリナ飛行艇がアッツ島南西200海里の地点で7隻の船をレーダー捕捉し、艦隊司令長官トーマス・C・キンケイド中将は日本艦隊とみて直ちに迎撃作戦に移り、戦艦ミシシッピー、アイダホと重巡洋艦ウィチタ、ポートランド、サンフランシスコからなる艦隊が出撃した。しかし、当時、この海域には日本艦船は存在しておらず、これは全くの事実誤認であった。 7月26日、濃霧の中ミシシッピーのレーダーが15海里の地点にエコーを捕捉した。アイダホ、ウィチタ、ポートランドの艦隊各艦からも同様の報告を得たキンケイド中将は直ちにレーダー射撃を開始させ、約40分後に反応は消失。しかし、不思議なことに重巡サンフランシスコと艦隊の全駆逐艦のレーダーにはこの戦いの最初から最後まで全く反応がなかった。これは現在ではレーダーの虚像による誤反応を日本艦隊と見間違えたという説が一般的であり、勿論日本軍にも全く損害は出ておらず、一方的にアメリカ軍が無駄弾をばら撒いただけであった。この際アメリカ軍が消費した砲弾は36センチ砲弾118発、20センチ砲弾487発に上ると言われている。 この誤認攻撃の状況に関して、米艦隊が打電した砲撃データの電文を日本艦隊は全て傍受しており、また平文で打電されていたために「アメリカ軍は同士討ちをやっている」と日本軍は思ったという。 7月28日(ケ号作戦実行日)、敵艦隊を撃滅したと確信したキンケイド中将は弾薬補給のため一時、艦隊を後退させる。この時、キンケイドはキスカ島に張り付けてあった哨戒用の駆逐艦まで率いて後退してしまった。 7月29日、周辺海域からアメリカ艦隊がいなくなっているとは知らずに、日本艦隊は突入し撤退を完了。 7月30日、日本軍守備隊が撤退したとは知らず、補給が終わったアメリカ軍は封鎖を再開した。 艦砲射撃と空襲により攻撃再開したアメリカ軍は、キスカ島を飛んできたパイロットより「航空部隊への対空砲撃、通信所の移転、小兵力移動」との報告を受け、更なる空襲を実施した。しかしこれら報告は、のちに「対空砲撃は空襲による爆炎を誤認、通信所は視界錯覚、小兵力はキツネ」であったと判明した。 8月15日、アメリカ軍は艦艇100隻余りを動員、兵力約34,000名をもってキスカ島に上陸した。艦隊による十分な艦砲射撃を行った後で濃霧の中一斉に上陸を開始したアメリカ軍は、最早、存在しない日本軍兵士との戦闘に備えて極度に緊張した状態で進軍したため、各所で同士討ちが発生した。死者約100名、負傷者数十名を出してキスカ島攻略を完了した。上陸したアメリカ軍が島で得たものは、遺棄された数少ない軍需品と、日本軍が救助船に乗せきれず置き去りにした4頭のシェパードだけだったという。 詳細は「コテージ作戦」を参照 アメリカの戦史家サミュエル・エリオット・モリソンは『アメリカ海軍作戦史』で「史上最大の最も実戦的な上陸演習であった」と皮肉っている。
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