アメリカ合衆国と革命軍の間の緊張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 15:23 UTC 版)
「フィリピンの歴史 (1898年-1946年)」の記事における「アメリカ合衆国と革命軍の間の緊張」の解説
7月15日、アギナルドは文政を想定した3つの基本布告を発布した。アメリカの将軍は、アメリカ軍への供給を抑えたアギナルドがアメリカの助力なしにマニラを奪取するつもりでアメリカ軍の動きをスペイン側に伝える一方で秘かにスペイン当局と交渉しているのではないかと疑った。アギナルドは文書で最初に連絡することなくフィリピンが占領した場所にアメリカ軍が上陸すべきではないと警告し、到着するアメリカ軍に十分な補給を要請しなかった。 6月までにアメリカ合衆国軍とフィリピン軍は、城塞都市イントラムロスを除くフィリピン群島の殆どを支配下に置いた。デューイ将軍とメリット将軍は、フェールミン・ハーウデネス(英語版)総督代理と共に無血開城することができた。交渉に当たった者達は、スペイン軍がアメリカ軍に敗れる偽の戦いを企てる秘密協定を結んだが、フィリピン軍は入城することを認めなかった。スペインもフィリピン軍にイントラムロスを明け渡しかねない恥から逃れた一方で、この計画は双方に不必要な負傷者を出す危険性を最小化した。
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