アメリカ軍の守り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:53 UTC 版)
ジョージアは2つの部隊で守られていた。大陸軍の部隊はロバート・ハウ少将が指揮し、南部全体の防衛を任されていた。ジョージアの民兵隊はジョン・ハウストン知事の全体指揮下にあった。ハウとジョージアの役人は、以前に東フロリダのプレボスト隊に対する軍事遠征に指揮を巡ってつまらない争いを行っており、しかもその遠征は失敗していた。この失敗により、大陸軍は1778年9月にハウに代わってベンジャミン・リンカーン少将に置き換えることにした。リンカーンは前年のサラトガの戦いでイギリス軍を包囲するときに、うまく民兵を使っていた。しかし、クリントンがジョージアに軍隊を派遣したという報せがハウの元に届いたとき、クリントンはまだ到着していなかった。 1778年11月の間、イギリス軍がジョージアを襲うという脅威は、サバンナ市にとってより切実なものになっていった。事態が切迫していたにも拘わらず、ハウストン知事はハウに民兵隊の指揮を執らせることを拒んでいた。11月18日、ハウはサウスカロライナのチャールストンから大陸軍兵550名を率いて行軍を開始し、11月遅くにサバンナに到着した。12月6日には、キャンベルがニューヨークを出港したことを知った。12月23日、イギリス艦隊はタイビー島で視認された。翌日、ハウストン知事はハウにジョージアの民兵100名を預けた。 作戦会議ではサバンナ市を積極的に守ることが決められたが、勢力ではかなり劣っていたので、リンカーンの部隊が到着するまで持ち堪えることを期待していた。イギリス軍が上陸してくる地点は多くの場所に可能性があったので、ハウはイギリス軍が実際に上陸するまでその部隊の大半を手元に引き付けておいた。
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