第5装甲軍の進撃とは? わかりやすく解説

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第5装甲軍の進撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)

バルジの戦い」の記事における「第5装甲軍の進撃」の解説

マントイフェル率い第5装甲軍はその機動性活かしてアルデンヌ戦線中央進撃し攻撃2日目までには交通の要衝であるサン・ヴィト、ウーファリズ(英語版)、バストーニュ攻略するように命じられていた。とくに東西道路網の中心バストーニュは、アメリカ軍の反撃阻止の意味合いからも最重要攻略目標とされていた。第6SS装甲軍ヒトラー指示作戦開始前にアメリカ軍陣地集中砲火加えてから進撃開始したに対してマントイフェルこれまでの豊富な実戦経験から、強固な陣地構築するに対して多少準備砲撃行ったところで、敵に与え損害大したことはないのに対して無用に防備固め逆効果しかない考えており、ヒトラー命令逆らって、まずは、入念に戦場地形偵察行ない、敵に気づかれないうちに包囲する浸透戦術をとることにしている。 “幽霊戦線”でもっとも敵陣に近いところに配置されていた部隊1つ戦闘経験乏しい第106歩兵師団であったが、マントイフェル事前に機械化部隊第106師団陣地構築している丘陵地帯迂回させ、道路沿って進撃させていた。やがて作戦開始時間となると油断しきっていた第106歩兵師団の2個連隊包囲してから激し砲撃加えて大混乱に陥れている。これは、正面からクリンケルトとロッヒェラートを攻めて苦戦している第6SS装甲軍とは対照的で、マントイフェル巧み指揮際立つこととなった。第106歩兵師団長のアラン・ジョーンズ少将は、包囲された2個連隊にサン・ヴィト方面への脱出命じるが、ドイツ軍包囲厚く包囲網突破することができず死傷者続出した弾薬などの物資が底をついたが、悪天候空輸でも補給ままならず包囲され3日後の12月19日、両連隊長ドイツ軍降伏した。この降伏アメリカ軍は9,000余り捕虜となりドイツ軍はこの勝利を誇らしげ喧伝し、この後足踏みが続く第6SS装甲軍主力に対して第5装甲軍快進撃が続くこととなる。 戦線中央にはアメリカ軍28歩兵師団英語版)の3個連隊薄く広く配置されていた。その中で最前線配置されていた第109歩兵連隊と第112歩兵連隊攻撃開始とともに45分間の激しい猛砲撃浴びその後はたった2個連隊第5装甲軍の第58装甲軍団と第47装甲軍団第7軍の第85軍団の3個軍団相手に戦うこととなった。それでも、112歩兵連隊戦車伴って進撃してきた第5降下猟兵師団激戦となったが、第9機甲師団英語版)の支援もあって終日ドイツ軍を近づけさせず戦線保持した。しかし、周囲進撃していくドイツ軍見てこれ以上戦線保持は困難と判断した連隊長は、連隊夜間背後ウール川渡河しての撤退命じたが、既に独第116装甲師団渡河しており、第28歩兵師団司令部への進路閉ざされ司令部との合流が困難となった112歩兵連隊はサン・ヴィトに向けて撤退した同様に109歩兵連隊圧倒的なドイツ軍猛攻にどうにか防衛線を維持していたが、第112歩兵連隊戦線突破した第5降下猟兵師団背後脅かされたため、南部友軍防衛線への合流目指し撤退した。 第28歩兵師団の2個連隊撃破した第5装甲軍は、アメリカ軍が「スカイ・ドライブ」と名付けていた整備され道路使用しバストーニュ目指し進撃したが、クレルヴ川(英語版)をのぞむ要衝を守る第28歩兵師団の第110歩兵連隊戦闘になった攻撃初日ドイツ軍は第110歩兵連隊が守る要衝のひとつマルナッハ(英語版)に第2装甲師団装甲擲弾兵到達激戦の末に攻略成功していた。第110歩兵連隊のハーレー・フラー大佐は、自分たちが守る地域はクレルヴ川にかかる橋梁望め要衝であり、その重要性痛感していたことから奪取されたマルナッハの奪還試み、第707戦車大隊支援受けて3方向からマルナッハを目指したが、昨日のうちに、ヴィレル・ボカージュの戦いでも名高い精鋭装甲教導師団村落到着しており、装甲擲弾兵のみと考えていたフラー目論見外れて強力なドイツ軍の反撃に第110歩兵連隊大損害を被ったなかでも北方から進撃してきた18輌のM5軽戦車ドイツ軍戦車砲撃次々と撃破され、11輌を失って撃退されるなど、アメリカ軍攻撃失敗した。 突然のドイツ軍侵攻に不意を突かれ第8軍団(英語版)の司令官トロイ・H・ミドルトン英語版少将は、ドイツ軍規模やその意図についての情報を全く持たない中で、「諸隊現在地撤退するのは、そこが持ち堪えられなくなったとき、ただ、その時にかぎる」と実質的な死守命令出した隷下の各師団からはドイツ軍の戦力強大なことや、いたるところ前線突破されているという情報もたらされたが、ミドルトン死守命令覆ることはなく、さらに「一切陣地いかなる犠牲はらっても、これを堅持せよ」と強い命令下している。 その後、第110歩兵連隊はクレルヴォー(英語版)とホージンゲン(ドイツ語版)でドイツ軍迎え撃つこととなったミドルトン予備兵力の第9機甲師団R戦闘部隊から戦車1個中隊と駆逐戦車4輌を送り込みフラー死守命令出したが、もはやクレルフ川をドイツ軍突破されるの時間の問題となっており、増援はこれが最後となった。それでも第110歩兵連隊優勢なドイツ軍の攻撃36時間も耐え続けたが、市街突入した装甲教導師団戦車が、連隊指揮所の置かれホテル零距離砲撃浴びせてきたため、連隊長フラー指揮所から脱出して後方部隊合流目指したが、途中でドイツ軍捕虜となってしまった。連隊長失った後も各拠点頑強に抵抗したが、12月18日になってまずはホージンゲンが降伏した。クレルヴォーでは連隊長失った連隊本部将兵が、クレルフ川のを望むクレルヴォー城英語版)に立て籠もって最後まで抵抗したが、城壁戦車徹甲弾大きな穴をいくつもあけられて城が炎上すると「ドイツ軍戦車と歩兵包囲されている。さらに多く戦車と歩兵がクレルヴォーを通過して北進中である」と打電したのち降伏した。第110歩兵連隊はこれで壊滅したが、その犠牲によって40時間以上もドイツ軍足止め成功しドイツ軍進撃計画大きく狂うこととなった

※この「第5装甲軍の進撃」の解説は、「バルジの戦い」の解説の一部です。
「第5装甲軍の進撃」を含む「バルジの戦い」の記事については、「バルジの戦い」の概要を参照ください。

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