ドイツ軍の戦力
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「第三次ハリコフ攻防戦」の記事における「ドイツ軍の戦力」の解説
反撃開始時、マンシュタインは第48装甲軍団とSS装甲軍団からなる第4装甲軍および、第40装甲軍団と第57装甲軍団からなる第1装甲軍を有していた。第48装甲軍団は第6および第11、第17装甲師団、SS装甲軍団は第1SSおよび第2SS、第3SS装甲擲弾兵師団から構成されており、2月初めのSS装甲軍団の戦力はおよそ20,000名ほどであった。第4装甲軍と第1装甲軍はソ連軍突出部の南方に位置していた。SS装甲軍団はこの突出部の北部に展開しており、南方軍集団の北部の戦線を維持していた。 ドイツ軍はおよそ70,000名の兵力を有していたのに対し、ソ連軍は210,000名を有していた。ドイツ軍の戦力は低下しており、特に1942年6月から1943年2月の青作戦の損害は深刻であったため、ヒトラーは80万人の新兵を補充することを目的にカイテル、ラマース、ボルマンの3名による委員会を発足させた。このうち、半数は「非基幹産業」から集める予定であった。この人員補充の効果は1943年の5月になってもあまり見られなかったものの、ドイツ軍の戦力はバルバロッサ作戦開始以来最大の950万名の兵力を確保した。 1943年の初め、ドイツ軍は重度の損害に悩まされた。装甲師団が100台以上の戦車を持つ事はあまりなく、平均で70台か80台の戦車しか使う事が出来なかった。ハリコフの戦いの後、グデーリアンはドイツ軍の機械化を推進する計画を開始した。グデーリアンの努力にも関わらず、ドイツの装甲師団は本来の戦力を13,000名から17,000名の編成で構成している所を、10,000名から11,000名しか充足することが出来なかった。6月までに各装甲師団に100台から130台の戦車を配備した。SSの師団は一般的には他の師団より状態が良く、150台の戦車と自走砲大隊を持ち、歩兵と偵察部隊はトラックにより自動化され、19,000名の編成で構成されていた。この時、ドイツ戦車の大半が未だにIII号戦車とIV号戦車によって構成されていたが、第2SS装甲擲弾兵師団にはティーガーIが配備された。 第4装甲軍はヘルマン・ホト上級大将、第1装甲軍はエバーハルト・フォン・マッケンゼン大将の指揮下にあった。第6、11、17装甲師団はそれぞれ、ヴァルター・フォン・ヒューナースドルフ、ヘルマン・バルク、フリードリーン・フォン・ゼンガー・ウント・エッターリンによって率いられていた。SS装甲軍団はパウル・ハウサーSS上級大将によって指揮されていた。
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