連合国における東部戦線の位置とは? わかりやすく解説

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連合国における東部戦線の位置

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 04:03 UTC 版)

独ソ戦」の記事における「連合国における東部戦線の位置」の解説

レンドリース」および「独米戦 (1944-45)」も参照 ソビエト第二次世界大戦開始当時の状況を見る限りにおいて侵略国であると考えられるポーランドフィンランドルーマニアバルト三国などの隣国に対して行動明らかに侵略そのものとみられた。これらの状況ふまえてイギリス・アメリカ困惑含めて眺めていた。ナチス・ドイツ目論んでいるロシアの植民地化は地政学でいうランドパワーとしての地位確立することになる。連合軍目的全体主義国家でありランドパワーとしての地位復活しようとするナチス・ドイツ殲滅である。連合国にとってソビエトはその対象であるのか。共産主義嫌っていることで知られるイギリスの首相チャーチルは、ナチス・ドイツとの戦争勝利するという何事にも変えることのできない目的遂行するために、「敵の敵は味方」として自身信念曲げてでも共産主義国家であるソ連手を握るという判断下すのである独ソ戦が始まると、それまでソ連を度々非難していた英国はただちに大量物資援助提案し中立であったアメリカ5月制定したレンドリース法武器貸与法)をソ連にも適用することにした。ソ連米英協定1941年10月結ばれ、この時から1945年まで武器物資ソ連供与された。援助効果1942年目立ち始め1943年にはソ連軍兵站物資機材の相当部分を占めようになった大半援助物資ペルシア回廊経由して供給された。大ざっぱ言えばスターリングラード戦までのソ連軍はほぼ自国製品戦いクルスク戦以降援助物資とともに戦ったといえる航空機戦車などの正面装備トラックジープ機関車無線機野戦電話電話線などの後方支援のための物資、さらに缶詰、靴、ブーツのような一般工業製品からアルミニウムといった原材料まで様々な援助物資届けられた。供与兵器は、正面装備に関するかぎりソ連戦力大きな比率占めなかった。戦車ソ連製の方が要目上は優れていたため、前線歓迎されない型もあったが、機械的信頼性の高さからアメリカ・イギリス戦車好まれる場合もしばしばあった。しかし、援助物資兵站経済、生活に与えた寄与大きかった主要工業地帯ドイツ軍占領され、残る生産能力兵器生産向けられたことで、ソ連では後方支援と生活のための物資著しく不足していたためである。また、兵站などはソ連立ち遅れていた分野で、米英からの援助が重要であったスターリン以下のソ連指導者は、援助ソ連戦争遂行能力支えていることを自覚していたが、同時にドイツ軍の戦力のほとんどをソ連引き受けている以上、援助当然だとも考えていた。アメリカルーズベルト大統領第二次世界大戦最中1942年5月ソ連軍活動その影響評価してこう記した。「ロシア軍連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大兵士兵器打撃与えているという明白な事実無視することはできない」と。ソ連米英軍が西ヨーロッパいずれかフランス、あるいはイタリア)に上陸して第二戦線を開くことを要求したが、この要請1944年ノルマンディー上陸作戦実施されるまでほぼ、満たされなかったといってよい。このためスターリンは、米英が自らは戦わず、独ソをともに消耗させようとしているのではないかという疑念抱いていた。そこでソ連米英用いたのが、対独単独講和というカードであり、援助止めさせないために単独講和ほのめかし続けた。 そしてソ連獲得したポーランド東部領土承認英米求めポーランド亡命政府ソ連の関係が悪化すると、ポーランド亡命政府との関係を絶つよう英米要求行った結果としてポーランド国境についてはソ連要求通り戦後ポーランド大きく西に移動するとなった連合国勝利がほぼ確定的となった1944年になると、イギリスソ連東欧支配さらには地中海への進出警戒心見せようになったモスクワ会談英語版)ではチャーチルスターリンと「パーセンテージ協定」を締結し東欧対すソ連優越権認め一方で地中海へのソ連進出食い止めようとした。 しかし、後のポツダム会談ソ連はさらに進出意向を示す。さらにアメリカ合衆国大統領フランクリン・ローズベルト死去により副大統領から大統領昇格したハリー・トルーマンも、人類初の核実験であるトリニティ実験成功の報を受けてソ連への態度硬化させた。そのためポツダム会談ローズベルト融和的政策のもとでなされたヤルタ会談と全く異なるものとなった共通の敵失った連合国列強は再びイデオロギー対立立ち戻り冷戦という対立軸へと向かうことになる。

※この「連合国における東部戦線の位置」の解説は、「独ソ戦」の解説の一部です。
「連合国における東部戦線の位置」を含む「独ソ戦」の記事については、「独ソ戦」の概要を参照ください。

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