クルスク戦以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:04 UTC 版)
「SU-152 (自走砲)」の記事における「クルスク戦以降」の解説
7月のクルスク戦では本車を装備する10個連隊が配置され、特にサンコフスキー(Санковский)少佐の第1540連隊は、12両のティーガー重戦車と7両のフェルディナント自走砲を破壊した(内10両はサンコフスキー少佐搭乗のSU-152によるものとされ、ソ連邦英雄の称号を得た)と言われるが、最近では「ティーガー」は追加装甲(シュルツェン)を巡らせた長砲身IV号戦車を誤認、「フェルディナント」はドイツ軍突撃砲・自走砲を総称する代名詞ではないかという説が有力である。事実、クルスクに放棄された本物のフェルディナントは、その全てがソ連軍により調査されたが、SU-152に撃破された物は記録されていない。その一方、少なくともパンター1両がSU-152により撃破された事実はドイツ側の報告で確認できる。 本車の性能はドイツ新型重戦車群と火力面でまともに対決できるものであり、対戦車戦への投入、また、市街戦では重火力を活かした支援を中心として活躍したことは間違いなく、8-12月に連隊の定数も21両に増加、指揮官用車両輌もSU-152で統一された。 1944年4月のクリミヤ作戦や7-8月のフィンランド・カレリア地区への突破作戦でも活躍した。 本車は1943年一杯まで生産され、総数は670ないし704両といわれる。KV重戦車の生産終了と共に本車の生産も終了したが、そのコンセプトと有用性は高く評価されており、それ以降は、KV重戦車にかわり量産体制に入ったIS重戦車の車体をベースにした改良型であるISU-152に生産が切り替えられた。 その後、生き残った車両は1950年代(54年?)までソ連軍で運用された。
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