初の核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 06:57 UTC 版)
「イーゴリ・クルチャトフ」の記事における「初の核実験」の解説
1949年8月29日、カザフ共和国(当時)のセミパラチンスク核実験場においてにソ連最初の核実験(プルトニウム型原子爆弾)が成功した。このときクルチャトフは、実験が失敗した場合にはスターリンの命により銃殺されることをも覚悟していたという。彼は、ベリヤからこの爆弾の名について聞かれ、『わが国は自力で成し遂げた』と答えた。これがこの実験"RDS-1"の由来である。 クルチャトフは続いてソ連の水爆開発プロジェクトにも携わるが(1953年)、その後はおもに原子力技術の平和利用に関する研究に専念するようになり、核実験にも反対の立場を取るようになった。その控えめな性格と、多岐な分野に渡る博識を買われて、フルシチョフ第一書記からソ連の科学技術政策に関するアドバイザーに就任するよう依頼を受けて承諾するものの、その直後に急逝してしまう。 1960年に脳血栓のためにモスクワで死去。遺体はモスクワの赤の広場のレーニン廟脇に埋められた。
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