初の日韓戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:32 UTC 版)
「日韓戦 (サッカー)」の記事における「初の日韓戦」の解説
日本と韓国による初めての国際試合は、1954年3月7日および3月14日に日本の東京都・明治神宮外苑競技場で行われた1954 FIFAワールドカップ・予選の第1戦である。この予選は本来ホーム・アンド・アウェー方式で行われるはずであったが、大統領(当時)李承晩が日本代表の入国を拒否し、意向を受けて韓国での開催が不可能となったため、2試合とも日本での開催となった。 史上初の日韓戦となった第1戦は日本が前半16分に先制するが、韓国が前半に2点、後半に3点を決めて1-5で韓国が勝利した。長沼健が挙げた日本の得点が日韓戦の第1号ゴール(同時にFIFAワールドカップ地区予選における日本代表の第1号ゴール)となり、一方の韓国の日韓戦の第1号ゴールは鄭南湜(英語版)による前半21分の得点である。この試合で記録された失点は日本の対韓国戦最多失点であり、両チームを通じた最多失点となっている(2015年8月現在)。第2戦は点差に関わらず日本が勝てば第3戦へと進めたが、2-2で引き分けて韓国がアジア代表としてFIFAワールドカップに出場した。
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