初の新日本プロレス中継とは? わかりやすく解説

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初の新日本プロレス中継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 19:11 UTC 版)

プロレスアワー」の記事における「初の新日本プロレス中継」の解説

1972年3月旗揚げした新日本プロレス最初中継東京12チャンネル放送した。『プロレスアワー終了後1972年9月シリーズである「ニュー・ゴールデンシリーズ」を単発放送として2回放送し1972年10月4日蔵前国技館行われたアントニオ猪木VSカール・ゴッチ戦を当日2230分から、10月10日大阪府立体育館行われた猪木VSゴッチ戦を11月6日20時からそれぞれ1時間録画中継したと同時に猪木試合中継単発放送ながらも1971年12月日本プロレス除名以来10か月ぶりに復活したその際実況は後に『国際プロレスアワー』や『世界のプロレス』を担当した杉浦滋男解説は後に『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)の解説担当した桜井康雄それぞれ務めた視聴率蔵前大会が8.8%、大阪大会が11.9%であった藤波辰爾東京12チャンネルによる単発中継についてテレビの力、メディアの力っていうのは大きい」「リング上にある感情人間臭さ泥臭さというものは日本人の心に突き刺さるものであり、それを伝える意味でも東京12チャンネルによる中継開始大きかった」と懐述している。 当時日本プロレス中継である『NET日本プロレスリング中継』を放送していたNETは、東京12チャンネルにおける単発放送前から日本プロレス幹部並びに日本プロレス選手会長であった大木金太郎極秘裏で、猪木当時日本プロレス所属だった坂口征二との間で新日本レギュラー中継に関する協議開始しており、東京12チャンネルにおける単発放送後の新日本試合中継は、1973年4月6日から日本プロレス中継番組であったNET日本プロレス中継』を打ち切ってワールドプロレスリング』に再改題した上でレギュラー放送として開始している。

※この「初の新日本プロレス中継」の解説は、「プロレスアワー」の解説の一部です。
「初の新日本プロレス中継」を含む「プロレスアワー」の記事については、「プロレスアワー」の概要を参照ください。

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