初の新日本プロレス中継
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「プロレスアワー」の記事における「初の新日本プロレス中継」の解説
1972年3月に旗揚げした新日本プロレスの最初の中継は東京12チャンネルが放送した。『プロレスアワー』終了後に1972年9月シリーズである「ニュー・ゴールデンシリーズ」を単発放送として2回放送し、1972年10月4日に蔵前国技館で行われたアントニオ猪木VSカール・ゴッチ戦を当日の22時30分から、10月10日に大阪府立体育館で行われた猪木VSゴッチ戦を11月6日の20時からそれぞれ1時間枠で録画中継したと同時に、猪木の試合中継が単発放送ながらも1971年12月の日本プロレス除名以来10か月ぶりに復活した。その際の実況は後に『国際プロレスアワー』や『世界のプロレス』を担当した杉浦滋男、解説は後に『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)の解説を担当した桜井康雄がそれぞれ務めた。視聴率は蔵前大会が8.8%、大阪大会が11.9%であった。 藤波辰爾は東京12チャンネルによる単発中継について「テレビの力、メディアの力っていうのは大きい」「リング上にある感情、人間臭さ、泥臭さというものは日本人の心に突き刺さるものであり、それを伝える意味でも東京12チャンネルによる中継開始は大きかった」と懐述している。 当時日本プロレス中継である『NET日本プロレスリング中継』を放送していたNETは、東京12チャンネルにおける単発放送前から日本プロレス幹部並びに日本プロレス選手会長であった大木金太郎に極秘裏で、猪木と当時日本プロレス所属だった坂口征二との間で新日本のレギュラー中継に関する協議を開始しており、東京12チャンネルにおける単発放送後の新日本の試合中継は、1973年4月6日から日本プロレスの中継番組であった『NET日本プロレス中継』を打ち切って『ワールドプロレスリング』に再改題した上でレギュラー放送として開始している。
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