ロシアの植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:32 UTC 版)
「アメリカ合衆国の植民地時代」の記事における「ロシアの植民地」の解説
ロシアとアラスカの間の諸島およびベーリング海両岸の海岸部には、アレウト族、ユピク族、チュクチ族などが住んでいた。ロシアのツァーリはその帝国の東部の探検を決断した(アジアとアメリカの間に陸橋があるかどうかを見極めたいと考えた)。1730年代と1740年代初期に第二次カムチャッカ遠征隊が派遣された。最初のロシアの植民地であるアラスカは1784年にグリゴリー・シェリホフによって設立された。1799年にニコライ・レザノフの力で露米会社が設立され、ラッコを狩りその毛皮を求めた。その後ロシアの探検家や開拓者がアラスカ、アリューシャン列島、現在のブリティッシュコロンビア州、ワシントン州、オレゴン州にまで交易基地の建設を続けた。現在のカリフォルニア州ソノマ郡にあったロス砦がロシアの最南端の植民地だったが1841年に放棄された 。 1867年、アメリカ合衆国がアラスカを買収した。アラスカのハーマンなどロシアの宣教師が先住民の中にロシア正教会を設立した。ロシア正教会とアラスカの先住民は今でも密接な関係を続けている。
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