露米会社とは? わかりやすく解説

露米会社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/03 18:37 UTC 版)

露米会社(ろべいかいしゃ。Russian-American Companyロシア語: Российско-американская компания)は、極東北アメリカでの植民地経営と毛皮交易を目的とした、ロシア帝国国策会社勅許会社である。1799年パーヴェル1世から[1]官僚外交官ニコライ・レザノフへの勅許により成立した。


  1. ^ Records of Former Russian Agencies [1]


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露米会社

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ニコライ・レザノフ」の記事における「露米会社」の解説

サンクトペテルブルク生まれる。14歳のころには既に5か国語マスターしていたといわれる1778年砲兵学校出て近衛連隊入隊1782年には退役して地方裁判所判事となり、1787年にはサンクトペテルブルク裁判所勤務、のち海軍省次官秘書などを務めた1791年にはデルジャーヴィン配下官房長となる。女帝エカチェリーナ2世晩年の最寵臣プラトン・ズーボフはレザノフ関心持ちレザノフはズーボフのために部下として働くことになった。ズーボフはこの時期毛皮交易関心寄せており、東シベリアイルクーツクにいる毛皮商人グリゴリー・シェリホフ連絡とっていた。シェリホフはイヴァン・ゴリコフとともにシェリホフ=ゴリコフ毛皮会社」(Shelikhov-Golikov Fur Company)を設立しアラスカ北太平洋方面への植民交易活動行っていた。 1793年冬、レザノフはズーボフの代理としてイルクーツクシェリホフ事業視察するため、シベリア横断の旅に出た1794年夏にレザノフイルクーツク着いたイルクーツクレザノフの父も数十年前官吏として赴任していたことがあるであったシェリホフ年に一度清国との国境の町キャフタで行う交易にもレザノフ同行したレザノフは、イギリス海路使って広州で行う交易比べると、陸路による清露間のキャフタ交易非効率かつ旧態依然であることを考えざるをえなかった。1795年1月レザノフシェリホフ14歳の娘アンナ結婚し新婦持参金としてシェリホフ会社持分手に入ったアンナ7年後産褥死したが、その間レザノフ共同経営者として会社事業拡大進めた1795年シェリホフが死ぬと彼は会社指導者となった。しかし会社所有権シェリホフの妻ナターリアのものであり、ゴリコフの離脱にともないアメリカ会社」と改名され会社経営からレザノフ次第疎外されてゆく。 レザノフ会社取り戻して業務拡大するため、イギリス勅許会社のようにロシア皇帝から勅許得てロシア毛皮事業独占すべきと考えたレザノフエカチェリーナ2世宮廷をうまく立ち回り勅許自分下すよう説得することに成功するが、直後エカチェリーナ2世没したレザノフ新皇パーヴェル1世から勅許を得るために説得最初からやり直したが、非常に精神不安定で強情な新皇帝から良い返事をもらえる見込み絶望的であった。しかしレザノフ屈せず皇帝説得続けその間1797年には、ライバル会社であるイルクーツクのミルニコフ会社アメリカ会社統合させて「合同アメリカ会社」を作り、その経営者となることに成功した1799年7月パーヴェル1世は、北緯55度線以北アメリカ大陸ロシア領アメリカ植民地設立し勅許会社である露米会社(露領アメリカ会社)に植民地経営独占させる1799年勅令」を出した。これはパーヴェル1世暗殺される直前であった。露米会社は20年間にわたりアメリカ大陸北西部北緯55以北海岸地帯アラスカからカムチャツカ伸びるアリューシャン列島、およびカムチャツカから南へ伸びる千島列島統治許可された。小規模な交易会社毛皮商人をこの地の毛皮交易から押し出した露米会社の勅許は、総支配人レザノフおよび会社出資者だった皇族シェリホフ家に多大な収入もたらしたが、まもなく管理失敗食糧不足アラスカ方面統治混乱し会社大きな損失出した

※この「露米会社」の解説は、「ニコライ・レザノフ」の解説の一部です。
「露米会社」を含む「ニコライ・レザノフ」の記事については、「ニコライ・レザノフ」の概要を参照ください。

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