交易会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 17:08 UTC 版)
「ロシアによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「交易会社」の解説
詳細は「露米会社」を参照 ヨーロッパ諸国の中でロシア帝国は、海岸遠征や領土獲得のための植民を国家が支援しなかった数少ない帝国だった。アメリカ大陸における活動を後援するために初めて国家が保護した交易会社は、グリゴリー・シェリホフとイワン・ラリノビッチ・ゴリコフによるシェリホフ・ゴリコフ会社だった。1780年代には他にも多くの会社がロシア領アメリカで活動した。シェリホフはロシア政府に排他的支配権を請願したが、1788年にエカチェリーナ2世は既に占領した地域のみの独占権を認める決断をした。他の交易業者はそれ以外のどこでも自由に競合することができた。エカチェリーナ2世の決断は1788年9月28日に皇帝宣言として発布された。 シェリホフ・ゴリコフ会社が露米会社(ロシア・アメリカ会社)の基礎となった。その認証は新ツァーリのパーヴェル1世による1799年宣言で行われ、これによればアリューシャン列島と北緯55度線より北の北アメリカ本土のロシア領アメリカにおける独占的交易権を与えていた。露米会社はロシア初の共同持ち株会社であり、ロシア帝国商務省の直接管轄下に入った。シェリホフ・ゴリコフ会社以来、アラスカ交易はイルクーツクを本拠とするシベリアの商人達が担っており、彼らが露米会社の当初の主要な株主であったが、間もなくサンクトペテルブルクを地盤とするロシア貴族がこれに替わった。露米会社は現在のアラスカ州、ハワイ州およびカリフォルニア州に開拓地を建設した。
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