交易の衰退とトゥアレグへの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 21:17 UTC 版)
「サハラ交易」の記事における「交易の衰退とトゥアレグへの影響」の解説
1960年代以前は、タウデニの塩鉱はモーリタニア、モロッコなど各地から坑夫やキャラバンが集まる交易センターだった。1960年代以降に植民地からの独立が相次ぐと、国境線の確定にともなって往来が限定され、南北を結ぶ複数のルートが厳しい状況となった。西アフリカ各地の独立(1960年)とアルジェリア独立(1962)によって、トゥアレグの領域は5カ国に分割された。トゥアレグはキャラバンの衰退による生活手段の破壊に加えて居住地域を分断され、マリやニジェール政府はトゥアレグに定住化政策を行った。これに対してトゥアレグはマリやニジェール政府に対する反乱を拡大した。 各国政府はトゥアレグ人に対立し、サハラ交易を維持するための政策をほとんど行わなかった。国際社会は、この地域にはフランスの影響と利権がある点や、地下資源に乏しい点などを理由に関心を払わなかった。このため交易を生業にできなくなったトゥアレグはリビアやアルジェリアに出稼ぎに行くほか、生活のために麻薬取引や身代金目的の誘拐を行う者も現れた。1990年代のトゥアレグの反乱、そしてアルジェリア内戦(1991年 - 2002年)により多数の道路が閉鎖され、交易路を一層荒廃させた。
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