交易と航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 14:05 UTC 版)
最初にダウ船が登場したのは紀元前後とも言われ、建造には南インド産のチーク等の木材が、使用されてることから南インド沿岸部で建造されたと思われる。『エリュトゥラー海案内記』第60節によれば、チョーラ朝の人々は「各種の船を建造し、そのなかには軽い沿岸航行用の船、丸木を何本も結び合わせて造った大型船、マレー半島や東南アジア方面に遠洋航海するためのさらに大きな船、などが含まれていた。文献にはしばしば、300人、500人、700人もの客を乗せる船に関する記述がある。ブローチに到着した船は、水先案内船に迎えられ、ドック内の個々の停泊位置に導かれたという 。 8世紀頃(アッバース朝成立後)、インド洋沿岸の大都市が一大消費地として興ってくるとともに、イスラム商人のダウ船が交易船として活躍し、季節風(ヒッパルコスの風)を利用してインド洋を航海し、東アフリカ、アラビア半島、インド、東南アジア、中国等の間に広大な海上交易網を築いた。ダウ船の活躍が、海のシルクロードと港市国家を発展させたと言える。しかし難破しやすかったため命がけの航海となった。ダウ船は陸路のラクダとともにイスラーム圏における主要な輸送手段だった。交易品は、ペルシャ湾岸からはナツメヤシや魚、東アフリカからはマングローブ木材、インド沿岸からは胡椒などのスパイスや、木綿製品が渡っていた。 アラビア半島と東アフリカの往復では、冬か早春に季節風に乗って南のアフリカに航行し、晩春か初夏に再び北のアラビアに戻った。 航海にはカマルと言う独特の道具を用いた緯度航法や中国から移入された羅針盤を用いていた。カマルと言う観測装置は、水平線から北極星の角度を測ることによって、緯度を測定する道具であった。
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