官吏として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:50 UTC 版)
1868年(明治元年)に朝廷に呼ばれた吉輔の後を追って上洛、京都御所禁衛隊に所属した。 翌年には京都御留守刑法官少監察となり、さらに同年行政改革で新設された弾正台巡察局京都支部に異動する。この時期に大村益次郎暗殺事件が起こり、貞剛は上司の指示により暗殺犯の処刑中止に関わる。この件で同僚と共に東京に召還されるも権大巡察に昇任して長崎出張所に派遣される。明治5年に昇進して司法少検事になり、翌6年函館裁判所に転勤する。その後副判事に昇任するも、帰京を願い、司法卿大木喬任に直訴し、明治9年に大阪上等裁判所に転勤を命じられる。
※この「官吏として」の解説は、「伊庭貞剛」の解説の一部です。
「官吏として」を含む「伊庭貞剛」の記事については、「伊庭貞剛」の概要を参照ください。
- 官吏としてのページへのリンク