官吏への転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 01:47 UTC 版)
明治13年(1880年)、父の死をきっかけに留学を目的として同郷の花房義質の推薦により外務省入り。外務卿・井上馨に認められて外務省御用掛として出仕。駐独公使館外務書記官となり、明治17年(1884年)から明治20年(1887年)までベルリン駐在(肩書きはベルリン公使館書記官)。ドイツ滞在中にヴィルヘルム1世より赤鷲三等勲章を受章。 帰国後に内務省に異動となり山縣有朋の信頼を受けて内務大臣秘書官兼参事官、埼玉県知事、内務省警保局長、静岡県知事、長崎県知事、明治31年(1898年)司法次官、明治32年(1899年)内務次官などの職を歴任する。この間第2回総選挙では内務省警保局長として内務大臣・品川弥二郎と共闘して有名な選挙干渉を指揮した。明治33年(1900年)3月10日より貴族院勅選議員(1916年1月15日まで在任)。明治35年(1902年)6月13日、錦鶏間祗候となる。更に1900年から明治36年(1903年)まで大阪毎日新聞社の社長を務める。
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