官吏時代
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藩士になると、1871年(明治4年)から兵事を担当。同年、廃藩置県により高松藩が高松県が設置され、高松県史生となる。高松県と丸亀県が合併して香川県が設置されたのに伴い香川県史生となって、租税を担当。名東県、愛媛県勤務を経て、1874年(明治7年)からは中央に出仕、地租改正事務局に籍を置き、山形県など各地に出向いて地租改正作業に携わり、西南戦争が勃発すると臨時熊本県官となり従軍した。1877年(明治10年)に山口県課長(租税担当)に登用され、1881年(明治14年)に農商務省設立とともに農商務省権少書記官に就任した。しかし、同年10月、官有物払下げ事件を機に明治十四年の政変が起こり、官有財産管理も担当していた中野は、薩長藩閥への反発から農商務卿の河野敏鎌や農商務省幹部であった前島密、牟田口元学らとともに官職を辞す。
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官吏時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 01:16 UTC 版)
明治43年(1910年)に國學院大學国史科を卒業、明治44年に日本大学政経科を修了。明治44年以後内務省、文部省勤務を経て、大正9年に東京市に転じ、同市で教育主事兼視学、監査課長、文書課長、牛込区長(1924年-1925年)、小石川区長(1926年-1927年)、下谷区長(1929年-1933年)、保健局長を歴任。
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