官命との対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:03 UTC 版)
官命に盛り込まれた5つの課題のうち、『播磨国風土記』が忠実に答えているとされるのは、土地の肥沃さと地名の由来や土地の伝承を記すことである。おおまかな構成は郡名、郡名の由来、里名、里の土地の肥沃さ、里名の由来、里にある村や山・川などの名称、その名称の由来、次の里名、…となっている。いくつかの里では特筆すべき産物などが記載され、地名の変更も何例か書かれている。産物、改名に関しては『出雲国風土記』と比べると記述量は少ない。 朝廷は税制の参考にするために土地の肥沃さを課題に盛り込んだと考えられている。納める側としては慎重に対応せざるを得ず、他国の風土記では詳細な報告を避けている。一方、『播磨国風土記』ではかなり詳細に記しており、上中下を用いて上の上から下の下までの9段階でほとんどの里を評価している。ただし、上の上に該当する里はなく、他国の風土記では詳細な報告が避けられたのに対して、当風土記では詳細に記すものの1段階下げて書かれた可能性がある。 この評価に関して、1885年(明治18年)の郡単位の米の反当収量と比較すると、一部を除いて対応関係があるという研究がある。例外となったのは加古郡と佐用郡で、風土記では加古郡は低い評価、佐用郡は高い評価となっていた。加古郡はため池が多く作られ明治期には収量が大幅に増加し、評価に開きが出たと考えられている。収量による評価であったとすると佐用郡については説明がつかない。 上記を踏まえ、その土地で作られる米が美味いかどうかというような総合的な評価ではないかとの研究もある。具体的には美味い米を作り出すための地形的・水利的条件を里毎に考察したものである。この研究では、評価の高い場所を粘性土でかつ水利が良い土地と考え、低いものとして水害地や水はけの悪い土地などを考えている。この評価も良い一致が見られ、収量では説明のつかなかった佐用郡の里も高い評価になるとされる。ただし、播磨国の最西部に位置している佐用郡では他地域との隔絶性が評価を高くさせた部分もあると考えられている。 地名の由来や土地の伝承が本文の中心となっていることは、他国の風土記とも共通する特徴で、官命で言うところの、山・川・原・野などの地名の由来、古老に伝承されている旧聞・異事の2つの項目にあたる。両者に厳密な区別は無く、神話などの土地の伝承も何がしかの地名と関連付けられている。
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