フォート・ロス (カリフォルニア州)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/18 14:58 UTC 版)
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       フォート・ロス
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       ロシア正教会の教会
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| 所在地 | カリフォルニア州、ソノマ郡、フォート・ロス州立歴史公園 | 
|---|---|
| 直近都市 | ヒールスバーグ | 
| 座標 | 北緯38度30分52秒 西経123度14分37秒 / 北緯38.51444度 西経123.24361度 | 
| 建設 | 1812年 | 
| NRHP登録番号 | 66000239 | 
| CHISL登録番号 | 5 | 
| 指定・解除日 | |
| NRHP指定日 | 1966年[2] | 
| NHL指定日 | 1961年[3] | 
| CHISL指定日 | 1932年[1] | 
フォート・ロス (Fort Ross) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のソノマ郡にある要塞。1812年に露米会社が建設した。北米大陸におけるロシア帝国最南端の植民地だった。
歴史
   1799年に成立したロシア領アメリカ(アラスカ)は慢性的な食料不足に悩まされており、露米会社の総支配人であるアレクサンドル・バラノフは、カリフォルニアにあったスペイン帝国領の要塞サンフランシスコ・プレシディオの北に食料調達拠点の設置を計画した。バラノフの部下ニコライ・レザノフがサンフランシスコに赴いて調査した結果、ヨーロッパ勢力が全く入っていない手つかずの土地がサンフランシスコ湾の北の海岸に存在することが分かった。レザノフはこの調査結果を受けて、バラノフおよびロシア皇帝アレクサンドル1世に対してカリフォルニアに拠点を設けることを進言し、露米会社顧問のイワン・クスコフによりフォート・ロスが建設された。
要塞の周辺にはロシア人、ドイツ人、スウェーデン人、ポーランド人などが入植した。要塞は非ロシア人やアメリカ先住民も出入りが許可され、国際的な交易場所として機能した。
1838年、露米会社は大英帝国のハドソン湾会社と食料調達の協定を結んだ。これによりフォート・ロスは不要になり、1841年にカリフォルニアの商人ジョン・サッターへ売却された。
文化財
   要塞の建築物で現存しているのは「ロチェフ・ハウス」と呼ばれる要塞司令官の官舎のみである。それ以外の建物はロシアからの提供資料をもとに復元された。要塞周辺は州立歴史公園になっており、ソノマ郡のワイナリー観光のツアーに組み込まれることが多い。
脚注
- ^ “Fort Ross”. Office of Historic Preservation, California State Parks. 2012年10月15日閲覧.
 - ^ National Park Service (15 April 2008), “National Register Information System”, National Register of Historic Places, National Park Service
 - ^ “Fort Ross” (英語). National Historic Landmark summary listing. National Park Service. 2007年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月17日閲覧。
 
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