シベリア横断
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1878年(明治11年)7月26日、サンクトペテルブルクを出発し帰国の途に向かう。榎本は当時日本に広まっていた「恐露病」を克服するため、ロシアの実情を知ることを目的にシベリアを横断した。モスクワを経てニジニ・ノヴゴロドまで鉄道で行った後、船と馬車を乗り継ぎ、9月29日にウラジオストックに到着。そこで黒田清隆が手配していた汽船・函館丸に乗船し、10月4日小樽に帰着。札幌滞在の後、10月21日に帰京した。このとき、山内堤雲とともに小樽の手宮洞窟にある古代文字を調査し報告している。
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