函館丸とは? わかりやすく解説

函容丸

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/09 03:31 UTC 版)

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函容丸
基本情報
建造所 横須賀造船所[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送船[2][3]
艦歴
計画 明治4年[3]
起工 明治4年9月[2](1871年10月から11月)
進水 1873年10月23日[4]
竣工 1875年3月13日[1]
その後 1875年3月20日開拓使へ引渡[5]
要目
排水量 450英トン[5]
または635.50英トン[1]
トン数 計画:328トン[6]
竣工時:373総トン[7]
長さ 50.900m[5]
甲板長:53m[7]
水線長 49m[7]
7.100m[5]
深さ 5.3m[7]
吃水 2.700m[5]
または6尺6(2.000m)[1]
あるいは2.30m(龍骨上面から)[7]
ボイラー 管入方形缶 1基[5]
主機 直立双置気筒機械[5]
推進 スクリュー・プロペラ[1]
出力 250IHP[5](65名馬力[1])
計画:60名馬力[6]
帆装 2ブリッグ[1]
燃料 炭団:133,320[1](約80トン)
航続距離 燃料消費:13,320斤/日[1](約8トン)
兵装 開拓使時:8cmクルップ砲 4門[8]
その他 船材:[5]
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函容丸(かんようまる)は、日本海軍の運送船[3]。 竣工後に開拓使へ譲渡され函館丸と改称した[5]

艦型

木造気船[5]、 帆装は2ブリッグ[1]。 主機は直立双置気筒機械でシリンダーの直径は660mm、行程は540mmだった[5]。 ボイラーは方形1基で蒸気圧力は2kg/cm2[5]。 計画出力は250実馬力(60名馬力[6])だった[5]

要目表は『海軍省報告書』[1]、『横須賀船廠史』[5]などによった。 その他の文献による主な要目は以下の通り。

  • 『日本近世造船史』:長さ175 ft (53.34 m)、幅20 ft (6.10 m)、トン数373トン、63馬力[9]
  • 『近世帝国海軍史要』:排水量450英トン[10]
  • 『日本海軍史』第7巻:長さ50.9m、幅7.1m、吃水2.7m、排水量450トン、250馬力[11]

艦歴

明治4年度計画で横須賀造船所で建造された[3]。 計画時に名称は60馬力運送船[6]明治4年9月(1871年10月から11月)に起工[2]1873年(明治6年)10月23日午後5時に進水式が行われ、勝海舟海軍大輔が臨場し[4]涵容と命名された[12]。 しかし10月25日に秘史局からの字には(船に)水が入る意味があり函容にしてはどうか、と提案があった[13]は包む意味で漢籍には「函之如海」(これを包むこと海の如し)とあり[13][14]函容は広く包容力のある意味となる[14]。 そこで10月27日に改めて函容と命名の達が出された[15][16]

12月9日に船長が任命された[17]函容丸は竣工まで造船寮の所轄であるが、艤装中の艦船乗員の給与規則がまだ決まっていなかった[18]。 このため函容丸は12月17日に提督府所轄の運送船となった[19]。 任務は12月の時点で測量船を予定していた[20]1875年(明治8年)1月13日、六等船と定められ、当分は予備艦とされた[21]

同年3月13日に竣工[1]、 17日に公試運転を実施、この時は開拓使の派出員も視察した[5]。 既に開拓使へ55,000で譲渡と決まっており、3月20日に開拓使に引き渡された[5]。 なお『日本海軍艦船名考』では3月22日に交付[2]、 『記録材料・海軍省報告書第一』では3月24日に交付としている[1][22]

開拓使は船名を函館丸と改称した[5]

函館丸

1875年(明治8年)12月19日、自衛のために8cm砲4門を備え付けたいと申請があった[23]。 同年12月27日に函館丸など開拓使所有の3隻は一時的に海軍の附属船とされた[24]江華島事件の事後処理のために黒田特命辨理大臣を朝鮮に派遣、彼を護送する軍艦の附属船という形だった[24]

1882年(明治15年)に開拓使が廃止され、函館丸は4月7日に農商務省へ引き継がれた[25]。 その後函館丸は北海道運輸会社(後に共同運輸会社へ合併)ヘ貸し下げられ、1883年(明治16年)には老朽化のためにボイラーの交換、主機の改造など大規模な修理改造が行われた[26]。 また搭載の8cmクルップ砲4門は9月18日に海軍省へ無償で交付された[8]

1885年(明治18年)に逓信省が発足し船舶などは農商務省から引き継がれ、1886年(明治19年)4月14日付けで日本郵船(郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併会社)へ函館丸を無償下附したと報告が出された[27]

函館丸
基本情報
母港 函館港
要目 (1891年時[28])
トン数 登簿噸数:295.3トン
航続距離 燃料消費:6.5トン/日
乗組員 定員:23名
その他 燃料:石炭50トン
北海道庁免状番号:第49号
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1891年(明治24年)10月に石川県の前波宗吉が函館丸を16,300円で購入、函館港を母港に北海道各港への貨物運送に使用された[28]。 翌1892年(明治25年)に函館区の能登善吉(函館での運航責任者)が18,000円で購入して船主となり、そのまま函館を母港に使用された[29]

函館丸日清戦争に従軍し、1895年(明治28年)4月29日に竹敷を出港、6月4日に佐世保港に帰着の記録が残っている[30][31]

船長

函容丸
  • 笠間広盾 大尉:1874年12月9日[17] -

脚注

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出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m #M1-M9海軍省報告書画像74-75、明治八年艦船総数表
  2. ^ a b c d #浅井(1928)p.37、函容 かんよう Kanyô.
  3. ^ a b c d 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.32
  4. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.246
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.23
  6. ^ a b c d #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.210
  7. ^ a b c d e #M7公文類纂14/貸借並売買受授(4)画像52、函容丸尺度
  8. ^ a b #公文類聚7-17/凾館丸大砲海軍省ヘ交付画像1
  9. ^ #造船史明治(1973)p.499
  10. ^ #近世帝国海軍史要(1974)p.885
  11. ^ 『日本海軍史』第7巻pp.228-229
  12. ^ #M6公文類纂15/軍送船々号御定の件1画像1
  13. ^ a b #M6公文類纂15/軍送船々号御定の件5画像1
  14. ^ a b #銘銘伝(2014)p.192、函容(かんよう)
  15. ^ #M6公文類纂15/軍送船々号御定の件1画像6
  16. ^ #M1-M9海軍省報告書画像43-44、明治6年10月。
  17. ^ a b #M7公文類纂13/管轄(3)画像9「海軍大尉笠間廣楯 函容丸舩長被仰付候事 十二月九日」
  18. ^ #M7公文類纂13/管轄(3)画像5
  19. ^ #M7公文類纂13/管轄(3)画像6-7
  20. ^ #M7公文類纂14/貸借並売買受授(4)画像56
  21. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.59「函容丸等級ノ件 明治八年一月十三日(記一套三) 函容丸 船位六等ト被定候事 当分豫備艦ト被定候事」
  22. ^ #M1-M9海軍省報告書画像62-63、明治8年3月。
  23. ^ #M8.5-12禀裁録/函館丸ヘ大砲設備画像1
  24. ^ a b #M8公文別録・朝鮮江華島砲撃始末1/三艘当分海軍省ニ附属画像1
  25. ^ #M15申奏録/諸船舶引継済之件画像2-4、諸船舶引継済ノ様上申
  26. ^ #公文類聚7-58/沖鷹丸無償下付画像1-2
  27. ^ #M19公文雑輯3/函館丸矯龍丸両別丸に関する件画像1
  28. ^ a b #M24公文雑輯14/汽舩表進達の件(北海道庁)画像2-3、函館丸汽船表
  29. ^ #M25公文雑輯11/汽船表の件(北海道庁)画像2、函館丸汽船表
  30. ^ #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/船舶特務艇(2)画像45、函館丸
  31. ^ #日清戦書/M30戦時書類1/艦船従軍終始期調書(1)画像56

参考文献

  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 国立公文書館
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。
    • 『公文別録・朝鮮江華島砲撃始末・明治八年・第一巻・明治八年/開拓使所轄玄武矯竜函館ノ三艘当分海軍省ニ附属ス』。Ref.A03023624400。
    • 『公文類聚・第七編・明治十六年・第十七巻・兵制三・庁衛及兵営・城堡・兵器馬匹及艦船/共同運輸会社ヘ貸与ノ凾館丸ニ備付ノ大砲其他附属品ヲ以テ海軍省ヘ交付ス』。Ref.A15110481900。
    • 『公文類聚・第七編・明治十六年・第五十八巻・運輸二・船舶車輌・船灯・津港・灯台・礁標/汽船沖鷹丸機関老朽ニ付無代価ニテ共同運輸会社ヘ下付シ函館丸改造ノ資ニ補充セシム』。Ref.A15110666000。
    • 防衛省防衛研究所
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/甲3套送達大日記 主船寮え達 軍送船々号御定の件』。Ref.C09111573800。
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/甲3套送達大日記 太政官え届 軍送船々号御定の件』。Ref.C09111574000。
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/癸3套秘事大日記 秘史局伺 軍送船々号御定の件』。Ref.C09111574200。
    • 『公文類纂 明治6年 巻15 本省公文 艦船部1/省中布告原因 海軍省達 軍送船々号御定の件』。Ref.C09111574300。
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/管轄(3)』。Ref.C09112102100。
    • 『公文類纂 明治7年 巻14 本省公文 艦船部2/貸借並売買受授(4)』。Ref.C09112103500。
    • 『明治19年 公文雑輯 巻3 兵事/徴募/19年4月14日 逓信省所属汽船函館丸矯龍丸帆船両別丸の3艘に関する件』。Ref.C10123721100。
    • 『明治24年 公文雑輯 巻14 徴発物件部 雇外国人部/24年10月27日 汽舩表進達の件(北海道庁)』。Ref.C10125012200。
    • 『明治25年 公文雑輯 巻11 徴発物件/25年9月2日 汽船表の件(北海道庁)』。Ref.C10125192100。
    • 『日清戦書/明治27・8年 戦時書類 巻1 明治30年/30年結了艦船従軍終始期調書(1)』。Ref.C08040766900。
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/船舶特務艇(2)』。Ref.C14010007100。
    • 北海道立文書館
    • 『禀裁録 自明治八年五月至同年十二月/附属汽船函館丸ヘ大砲設備ノ件』。Ref.G18020085100。
    • 『申奏録 全 明治十五年/諸船舶引継済之件』。Ref.G18020208100。
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 海軍有終会/編『近世帝国海軍史要(増補)』明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 横須賀海軍工廠/編『横須賀海軍船廠史』明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。

関連項目


函館丸

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函容丸」の記事における「函館丸」の解説

1875年(明治8年)12月19日自衛のために8cm砲4門を備え付けたいと申請があった。同年12月27日に函館丸など開拓使所有の3隻は一時的に海軍附属船とされた。江華島事件事後処理のために黒田特命辨理大臣朝鮮派遣、彼を護送する軍艦附属船という形だった。 1882年(明治15年)に開拓使廃止され、函館丸は4月7日農商務省へ引き継がれた。その後函館丸は北海道運輸会社(後に共同運輸会社合併)ヘ貸し下げられ、1883年(明治16年)には老朽化のためにボイラー交換主機改造など大規模な修理改造が行われた。また搭載8cmクルップ砲4門は9月18日海軍省無償交付された。 1885年(明治18年)に逓信省発足し船舶など農商務省から引き継がれ1886年(明治19年)4月14日付け日本郵船(郵便汽船三菱会社共同運輸会社合併会社)へ函館丸を無償下附したと報告出された。 1891年(明治24年)10月石川県前波宗吉が函館丸を16,300円で購入函館港母港北海道各港への貨物運送使用された。翌1892年(明治25年)に函館区能登善吉(函館での運航責任者)が18,000円で購入して船主となり、そのまま函館母港使用された。 函館丸は日清戦争従軍し1895年(明治28年)4月29日竹敷出港6月4日佐世保港帰着記録残っている。

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