第3の哨戒 1942年6月 - 8月
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「シードラゴン (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1942年6月 - 8月」の解説
6月11日、シードラゴンは3回目の哨戒で南シナ海、インドシナ半島方面に向かった。6月27日に哨戒海域に到着し、月末まではシンガポールと香港間の交通路を哨戒し、その後哨戒海域をバレラ岬沖に設定して移動した。7月4日朝、シードラゴンは3隻の船を発見し、先頭の船に対して魚雷を発射。しかし、魚雷は目標の下を通過したらしく命中せず、逆に3隻の船がシードラゴンのいる方に突進し、爆雷を落としていった。10分後観測すると、3隻は陸の方に逃げていくのが見えた。シードラゴンは南に針路を向けて交通路の哨戒を続けた。 数時間後、シードラゴンは2隻の貨物船を発見し、先頭の船に対して魚雷を2本発射。しかし、最初の魚雷は爆発せず、もう1本の魚雷は後ろに逸れていった。魚雷はもう2本発射したが、やはり命中しなかった。直後に敵航空機が出現し、シードラゴンは以後2時間ほど対潜爆弾の雨にさらされた。この辺りの海は75ファゾム(137メートル=450フィート)あったにもかかわらず、どんな深さで潜航しても上空から見えていたものと考えられた。シードラゴンは爆弾の雨をしのぎ、哨戒を続けた。 次の週、シードラゴンは数隻の船を発見したが、いずれも攻撃位置を占めるまでにはいたらなかった。しかし、そういった不運は7月11日夜に終わりを告げた。シードラゴンはキノン岬沖で西方に煙が上がっているのを発見し、追跡を開始した。7月12日1時56分に攻撃位置を占め、14分後に魚雷を3本発射。1本は後方に逸れたが、2本が輸送船日山丸(日産汽船、6,171トン)に命中。2時19分までに日山丸は沈没していった。シードラゴンはバレラ岬北東14.8キロの地点に向かって潜航哨戒を続けた。 7月13日朝、シードラゴンは陸軍輸送船神陽丸(大同海運、4,163トン)に向けて魚雷を発射し、魚雷は神陽丸の後部に命中。神陽丸は間もなく沈没した。シードラゴンはこの海域を去って、海南島とバレラ岬を結ぶ海域に移動し、数日間哨戒した後バレラ岬沖に戻った。7月16日10時30分、シードラゴンは4隻の輸送船団を発見。魚雷を発射したものの、5分後に魚雷は海岸に命中し、4隻はシードラゴンのいる方に突進。シードラゴンはUターンして魚雷をもう2本発射。魚雷は輸送船函館丸(日本郵船、5,303トン)に命中し撃沈。シードラゴンが潜望鏡深度に戻って観測すると、函館丸以外の3隻の姿しか見えなかった。7月20日、シードラゴンはオーストラリアに針路を向けて南シナ海を去った。8月2日、シードラゴンは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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