第3の哨戒 1942年6月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒 1942年6月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 16:09 UTC 版)

シードラゴン (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1942年6月 - 8月」の解説

6月11日シードラゴン3回目の哨戒南シナ海インドシナ半島方面向かった6月27日哨戒海域到着し月末まではシンガポール香港間の交通路哨戒し、その後哨戒海域バレラ岬沖に設定して移動した7月4日朝、シードラゴンは3隻の船を発見し先頭の船に対して魚雷発射。しかし、魚雷目標の下を通過したらしく命中せず逆に3隻の船がシードラゴンのいる方に突進し爆雷落としていった。10分後観測すると、3隻は陸の方に逃げていくのが見えたシードラゴンは南に針路向けて交通路哨戒続けた数時間後、シードラゴンは2隻の貨物船発見し先頭の船に対して魚雷を2本発射。しかし、最初魚雷爆発せず、もう1本の魚雷後ろ逸れていった。魚雷はもう2本発射したが、やはり命中しなかった。直後敵航空機出現しシードラゴン以後2時間ほど対潜爆弾さらされた。この辺りの海は75ファゾム137メートル450フィート)あったにもかかわらず、どんな深さ潜航しても上空から見えていたもの考えられた。シードラゴン爆弾をしのぎ、哨戒続けた次の週、シードラゴンは数隻の船を発見したが、いずれも攻撃位置占めるまでにはいたらなかった。しかし、そういった不運7月11日夜に終わりを告げたシードラゴンキノン岬沖で西方に煙が上がっているのを発見し追跡開始した7月12日1時56分に攻撃位置占め14分後に魚雷3本発射。1本は後方逸れたが、2本が輸送船日山丸(日産汽船、6,171トン)に命中。2時19分までに日山丸は沈没していった。シードラゴンバレラ北東14.8キロ地点向かって潜航哨戒続けた7月13日朝、シードラゴン陸軍輸送船神陽丸(大同海運、4,163トン)に向けて魚雷発射し魚雷は神陽丸の後部命中。神陽丸は間もなく沈没したシードラゴンはこの海域去って海南島バレラ岬を結ぶ海域移動し数日間哨戒した後バレラ岬沖に戻った7月16日10時30分シードラゴンは4隻の輸送船団発見魚雷発射したものの、5分後に魚雷海岸命中し、4隻はシードラゴンのいる方に突進シードラゴンUターンして魚雷をもう2本発射魚雷輸送船函館丸日本郵船、5,303トン)に命中し撃沈シードラゴン潜望鏡深度戻って観測すると、函館丸以外の3隻の姿しか見えなかった。7月20日シードラゴンオーストラリア針路向けて南シナ海去った8月2日シードラゴン52日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第3の哨戒 1942年6月 - 8月」の解説は、「シードラゴン (潜水艦)」の解説の一部です。
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